柴田保之先生「きんこんの会」2013年1月13日

柴田先生:
それでは時間が過ぎましたので、始めさせていただきたいと思うんですけれども、僕は別に司会じゃないですけど、この会の設定とかする柴田です。国学院大学の柴田ですのでよろしくお願いします。今日はお配りするもの1部、きんこん通信というものがありまして、T.I.さんの提案で急きょ創ったものですが、主旨なんかは途中で彼が言ってくれると思うので、これはぜひ手元にまわしていただいて、足りると思うのですが、足りなかったらあとでコピーしますので。

今日の司会はそういうこともありまして、T.I.さんにお願いしようという、すいません、司会を決めるのはだいたい、初めの頃のメンバー2、3人でぽこぽこっと決めちゃうので、まだ司会者を誰にするかはちゃんと決められてないんですけども、やり方はですね、今日はT.I.さんということになんとなく決まりましたので、T.I.さんにお願いするので。

それから、最初にカメラとかをお撮りになる方が今日来ていただいているので、そのことについても、これは新宿のサロンの方でこの問題についていろいろと考えてくれていた経緯があるので、H.S.さんに一番言ってもらうのが、このメンバーの中では一番いいかなと思いますので、お願いしたいと思います。

じゃあ、僕からT.I.さんに移りたいんですけども・・・

いつも肉声でやっていて、声は確かに通りにくいかもしれないんですけども、・・・マイク使ったことないですもんね。がんばって、できるだけ大変なんですけども近寄っていただければ。

今日の通訳はいまのところ見渡したら、K.K.さんのところのお母さんと、H.S.さんのところのお母さんにぜひやってほしいと、H.S.さんからご本人から強い申し入れがあったので、ふたりのところで通訳をやってください。もしかしたら、うちの家内と山梨からきていただいた先生でやることになると思います。

で、大変申し訳ないんですけども、自己紹介を、来ていただいている方にしていただくのが難しそうなので、みなさんの所属とかを書いていただく手帳をまわしたいと思うので、お名前そのほか書いていただければありがたいと思います。

じゃ、ここからT.I.さんにお願いしたいと思いますのでよろしくお願いします。

T.I.君:
みなさん、あけましておめでとうございます。今年は僕たちの年になりそうな予感がしているので、僕はこれから、今年はいろいろがんばりたいという気が湧いてきました。なぜなら、今朝は少し早めに先生の研究室に来たら、前に「ぼくはうみがみたくなりました」という映画を作った山下久仁明さんという方がカメラをかまえて、笑いながら立っていて、今度は君たちのことを映画に撮りたいと言ってくれたり、前から来てくださっている映画の方もいらっしゃっているようで、僕たちにとっては少しずつ世の中に伝わりはじめたという気がしているからです。

なぜなら僕たちが会を始めたころは、誰もこんな会を見向きもしなかったので、先生の研究室でひっそりとやっていたのですが、そのときはたった4、5人で始めたものでしたから、まさかこんなに大きくなるとは思いませんでしたが、こんなに大きくなるにあっては、たくさんの方々が応援してくださっているからだと思うのですが、その応援してくださった方々のおかげで、こんなにいま大勢の方々が集まっていただける会になったのを、僕はとても心から感動しています。

このあいだから、僕たちの名前を言うだけで、時間がなくなっていまって、皆様方のご紹介ができないのを大変心苦しく思っていますが、そこはどうかご容赦いただければありがたいと思います。僕たちにとっては、この日のこの時間しかお互いに話し合える場がないので、この日この時間を離れるとまた、お互いに日々の誰ともうまく意思疎通ができない世界に戻ってしまうので、そのへんはご理解いただいて、ぜひ僕たちに時間を少しでも多めにいただけるとありがたいと思います。

ただ、途中でやはり練習をする時間を作りたいと思っているので、どこかで区切れたら、少しずつでも僕たちの手をとっていただいて、何かこういうやり方について理解を深めてもらえたらありがたいと思います。

ところで今日、最初に撮影のことについてまずH.S.さんから説明をお願いしたいので、H.S.さん、お母さんの通訳でよろしくお願いします。お母さんがどうやってやるのかぜひみなさん見ていただければと思います。先生のはよくわからないと思いますが、H.S.さんのお母さんのはよくわかると思うのでよろしくお願いします。

H.S.君:
僕はH.S.と言います。僕は撮影について意見があります。この方法はこの方法をやった人だと理解してもらえますが、撮影を見ただけでは信じられないという人が増えてしまうのが、とても困ります。だからうまく撮影をしてください。また撮影してほしい人と撮影してほしくない人がいるのと思うので、最初に聞いてから撮影をしてください。ではよろしくお願いします。
T.I.君どうぞ。(拍手)

T.I.君:
ありがとうございました。ところで、今の段階で撮してもらいたくない人いますかと聞くのは、なかなかむずかしいのですが、H.S.君の考えでは、今うつされたくない人はこのなかにいるでしょうか、いないでしょうか。あとで、みんなで意見を言うときに、僕はだめだと言えば大丈夫だと思います。なぜならば、生中継ではないので、(笑)いくらでもカットできるからです。だから僕はいやだ、私はいやだという人は後からでも大丈夫だと思うのですが、とりあえずH.S.さんの考えを聞かせてください。

H.S.君:
今日はたぶん大丈夫だと僕は思いますが、僕にもわかりません。

T.I.君:
ありがとうございました。それでは、安心して始めたいと思うので、まず僕から今日の最初の話をさせてもらいたいと思いますが、今日は僕の提案で、きんこんの会の通信ができてとてもよかったと思います。先生になんとなく言ったつもりだったのですが、きちんと伝わってうれしかったです。いったん話がかたちになると、けっこういい方向に動くのが僕の経験上のわかっていることなんで、(ちょっとちがう・・・)経験上の智恵なので、その通信はきっといい方向に発展するなと思います。いい方向というのは、僕たちの言葉が今日ここに来れない人に届けられるようになるということです。

僕たちはけっこう恵まれている方で、なかなか来れるわけではないので、ここに来れている人たちだけの会にしてしまったら、本当は家で来れないで苦しんでいる仲間を置き去りにすることになるので、僕たちのこの会のことを少しでも仲間に伝えたいと思うので、こんな通信ができてとてもよかったです。まだ僕はくわしく見てはいませんが、僕は雰囲気を見ただけで、これはいけると思ったので、また今度は皆さんが、家で書ける人は限られているけれど、なんかのかたちで書いて、また先生に送れば、先生も楽にやれるのではないかと思うので、よろしくお願いします。

この通信がまた新しい年のひとつのきっかけになりそうな気がして、僕はとてもうれしいです。今日は、僕はけっこう病み上がりなので、体調があまり優れていませんが、それは僕があまりしゃべるなということのようなので、僕は今日は司会に徹するつもりです。

ところで今日の参加者の方々は、本当にたくさんおいでいただいているので、僕はとてもうれしいのですが、まず参加者の方々の、参加者というのは当事者のことになってしまうのですが、ひとりひとりの意見を最初に言ってから始めたいのですが、今日も新しい方が来ているので、まず新しい方に先生の方から聞いてあげてほしいと思います。新しい方は、いきなりこんなやり方をやるのを見たら、驚くしかないと思うのですが、このやり方は先生が長い間かけて、僕たちの音を聞き取る不思議なやり方を見つけたからできているので、別にテレパシーでもないし、心を読んでいるわけでもないのですが、不思議と音を先生が探り当てられることができるようになったので、こんなに速く通訳ができていますが、当たり前の会話をしようと思ったら、少しぐらい疑われてもしかたないので、これはしかたないこととしてやりたいと思いますのでよろしくお願いします。

今日は、先生は最初に言いませんでしたが、このやり方にいろいろ疑義がある方はあとで、先生と勝手にやってください。(笑)僕たちにとってはどうでもいいことなので、(笑)僕たちの大事なのは、僕たちの言葉の中にあるので、方法については、あとは~というか援助者のほうでいろいろ議論すればいいと思います。そのことは先生が一番そう思っているようなので、平気で言いますが、そういうことなので、そこはよろしくお願いします。それでは新しい方の先生の方からインタビューではないのですが、先生の方から新しい人の気持ちを聞いてあげてほしいのですが、新しい方は、今日はたぶん、ふたりでよろしいですか。

よろしいようだったら、そのふたりから始めていただけたらと思います。まずやはり年齢が上の方のほうがいいと思うので、向かいの方からお願いしたいと思います。よろしくお願いします。あまりにも驚かれているかもしれませんが、それでも僕たちにとってはまだ、まどろっこしいぐらいの速さなので、本当はもっと速く話したいぐらいなので、この速さでやってもらいたいと思っています。

今日は大勢の方がいらっしゃるので、聞こえない方はもう少し前へ出てこられてけっこうですので、べつに分けるつもりで別れたわけではありませんので、ただ声が届かないと困るというだけの理由で、円を二重三重にしたので、聞こえるところまでぜひ近寄っていただきたいし、なんなら前のマットに座ってもけっこうです。(笑)別に、分けてるつもりはないので、ただ、声が届かないと困るというだけの理由ですから、適当に、聞こえないのが一番悲しいので、ぜひみなさんに僕たちのメッセージは聞いてもらいたいのでよろしくお願いします。それでは新しい方からよろしくお願いします。

S.N.君:
それでは僕の意見を言わせていただきますが、僕は、今日はあちらで声を出している男の方の紹介で来ました。・・・K.Y.さんというのですが、先生がなぜ名前で困ったのかわかりませんが、K.Y.さんの紹介で来ました。

僕はこの方とは初めてなのですが、僕の友達の知り合いのようなのでとても安心していますが、このやり方は、見たときは驚きましたが、実際に自分で体験してみると、僕の言葉がそのまま伝わっていくので驚いていますが、どういうやり方なのかなんとなくわかるような気がしますが、それはあとでまたゆっくりと確かめさせてもらいたいと思いますが、僕の言葉ですが、この会についていろいろ事前に聞いてきたのですが、よくわからなかったところは、僕たちが集まって本当に話し合いができるのかということでしたが、こういうやり方があるのなら大丈夫ですね。

僕たちにとっては、言葉がしゃべれないだけなのに、それ以上に不当に差別されてきたので、まず言葉が当たり前に話すことができれば、言葉が当たり前に話せれば、僕たちはある境界を突破できるので、とてもうれしいですが、僕は歩けて、身の回りのことは全部自分でできるのですが、今日こられている方のなかには、僕のようには体が動かない方もいるかもしれませんが、僕たちの苦しみは体がうまくコントロールできないことです。体をコントロールできないというのは、とても体が動かない人たちからみると、わかりにくいことかもしれませんが、コントロールできないとどうなるかというと、手を出したくないときに手を出してしまっては怒られたり、手を出さなければいけないときに、出せなくて何も分かっていないと言われたり、けっこう大変なことが起こるのですが、そのことでずいぶんと苦労してきましたが、こんなに言葉をわかっていると、あからさまに思われたのは初めてです。あからさまにとは変な表現かもしれませんが、だいたい僕を見るとまず言葉がわかっているかどうかから始まって、そういうことで終わってしまうのに、この会では当たり前にできていることが大前提のようなので、そのことにとても驚いています。こんな理解の仕方がこの世の中にあるなんて、思いもよりませんでした。

僕は小さいとき、とてもいい学校にめぐりあいました。このあいだその学校の亡くなった仲間のことが新聞に紹介されてその先生がこの先生だということなので、僕は今日はそのことをいろいろ思い出しながら来たのですが、先生たちはなによりも僕たちの主体性を尊重しようとしてくれましたから、僕は小学生時代は、とてものびのびと暮らすことができました。

僕もついつい長くなってしまいましたが、僕たちのような存在でもこの招いていただいてとてもうれしかったです。特にこういう会は僕たちのような自閉といわれる人たちはわかってないどころか、理解できないと思われるのが関の山なので、だいたい端っこでがまんするしかないのですが、いきなり最初から振られて嬉しかったです。

それではあまり長く話しても申し訳ないので、一旦これで僕は話を終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

J.M.君:
僕の名前はJ.M.です。まさか初めての先生が僕の手を触って言葉を読み取れるなんて、信じられないのですが、さっきから見ていて、僕たちのような存在にはこれが本当だというのはすぐわかります。なぜならまさかこれをいい加減な気持ちでやられたら、僕はすぐにこの場から立ち去ります。なぜならもしうそでこんなことをやられたら、これほどの侮辱はないからですが、特に僕などは何もわからないというわけではくて、少しわかっていても本当のことはわからない知的障害というふうに言われてきたので、なかなか世の中の人に理解されるのは難しくて、みなさんのように何も分かっていないとまでは言われていないので、大体は可愛がられて終わるのですが、こんなふうに一人前に大人の人たちといっしょに話をさせてもらえるとは思いませんでした。

僕にとってはこんな場所があるなんて夢のようですし、ついこのあいだおばさんが先生のところに来て、あなたも行っておいでと言ったので今日は楽しみにしてきたのですが、大勢のひとがいるのも驚きでしたが、こんなふうにして言葉を通訳してくれるなんて思いもよりませんでした。僕たちにとっては言葉のことで、いつも苦しんできたので、こんなふうにして言葉を解放してくれる手段があるのなら、もう僕は言葉の障害者ではなくなるような気がするので、はやくこういうやり方が一般的なものになってほしいですが、さすがに僕もこのやり方を見ていて、これは世の中には長いあいだ受け入れられることはないだろうと思ってしまいました。でもなんらかの形で伝えられるということがわかってもらえれば、もっとゆっくりでいいから、僕たちの本当の声を世の中の人に聞いて欲しいと思っています。

僕は今日、少し驚いてしまっているので、なかなか考えがまとまりませんが、先輩たちが一生懸命こういう会をやろうとしてくれたということにとても感謝していますし、先輩たちあまりにもあっけらかんと話をしているのに、とても驚きました。僕ももっとあっけらかんとしたいのですが、いつもいろいろ言われてしまうので、気持ちも沈みがちなのですが、いま向かいで司会をしていた先輩など、最初から笑顔しか見ていないので、(笑)ほんとうにあっけらかんと生きることができるのかと思うととても希望が湧いてきましたが、なかなか僕は難しいかもしれないけれど、仲間だってそういう顔をなかなかできないので、僕はとても楽しみです。僕にもああいう笑顔がいつか・・・生まれるようになるのだろうかと・・・(いまの間違い?・・・)僕にもああいう笑顔がいつか笑えるのだろうかというのを考えていたら、先生が間違えて生まれると言ったのですが、(笑)考えていたら生まれると言われたので、違っちゃったと思ったら、先生が違うんですかと言ったので面白かったです。(笑)いまのは間違いではなくて言わなかったことを言っただけですから、ご安心ください。

ところでこんなやり方があるなんて、お母さんがたも、学校の先生も知らないと思うのですが、どうしてこんなにたくさんの人が集まっているのか不思議でしょうがありません。こんなにたくさんの人が知っているなら、もう世の中の常識になっていてもいいような気がするのですが、なかなか難しいのでしょうね。

僕の話はとりとめがなくなりそうなので、ここで終わりにしますが、いまとても面白かったのは、僕も気がついたのですが、とりとめがなくなると普通言わなくて、とりとめもなくなるというのに、先生はとりとめがなくなると言って、それをもう一度とりとめが、を確かめたので、やっぱり音を確かめているというのがよくわかりましたが、やはりどうやって確かめているのかはわかりませんし、すべてそうではないのはわかっているので、本当に不思議ですが、お互い初対面なので別にお互いのことを知らないなかでやっていることなので、とても機械的ななにかの手段だと思うので、いつかみんなができるようになるといいと思いました。以上で僕の話は終わらせていただきます。本当に最初から話をさせていただいてありがとうございました。以上です。(拍手)

T.I.君:
先生もさすがに緊張しているのがわかりましたが、(笑)僕のところにくると、いきなり気持ちがほぐれたのがわかるのが、(笑)このやり方の面白いところですが、先生もさすがに初対面の人だと気をつかうのがよくわかりましたが。

ところで今日の話題は特に決めてきたわけではないのですが、通信を作ったらいったい誰に届けたいかということについて意見を聞かせていただきたいのと、今年はみんなどんなことを考えているのかということを聞きたいと思うので、まずいま一番声を出していらっしゃる先輩に聞きたいと思います。もしかしたら先輩ではなかったかもしれないけれど、つい、体が大きいので僕は先輩と思ってしまいましたが、きっと何か主張がお有りだと思うので、この方から、K.Y.さんから最初に聞いていただけたらと思いますが、よろしくお願いします。

K.Y.君:
僕の今日の声はあまりにも大勢の人がいるので、驚いただけですからご安心ください。驚いただけでもあれだけ声がでるのだから、人にいろいろ言われたらもっと声が出ますので、本当にいつもは苦しいですが、今日は大丈夫です。

いま立ち上がったのはただちょっと立ち上がりたいだけですのでご安心ください。(笑)お父さんと僕はとても仲がいいので、じつは少し立ち上がりたくなったときには、お父さんの体を借りて自分の体をとめています。さっき僕の先輩が僕たちの困っているところは勝手に体が動くところだと言ったのですが、それは本当で、ほとんど自分の動きがコントロールできないので、僕はいろいろいたずらだらけの人間と言われていますが、本当は普通にものを感じているのですが、そのことさえなにかいろいろ言われてしまって、最近はこないだ、今日はお休みの人が言ったけれど、難しいことを言っている学者達が、僕たちは人の心を推測する力がないのだということを言ったりしていて、あんなことまで言われるなんて、いったいなにか僕たちは悪いことでもしたのかと言いたくなりますが、僕たちはただひたすらいい人間になりたいと思って懸命に生きてきたのに、なぜ心を推測する能力がないなどと、人間として一番大切な能力が欠如しているかのように言われなくてはならないのか本当に頭にきますが、その話はあまりしていてもしかたないので、それはそれで終わりますが、今年僕が一番期待しているのは、今日の通信にもあるように、一人でも多くの人にこういう世界があるということをわかってほしいということです。

ひとりでも多くの人に、には、ふたとおりの意味がこめられていて、ひとつは僕たちの仲間のことです。まだまだこんなやり方を知らず、苦しんでいる仲間が山ほどいます。たぶん学校の数を数えればわかるんですが、車椅子の人の数よりも、僕のように歩ける人の数のほうが多くて、車椅子の人たちと何度か話す機会があって、ひとつわかったことは、僕たちが誤解されていて、車椅子の人たちは無視されてきたということだったのですが、無視もつらいけれど、誤解もつらいという共通理解をしてもらえたので、やはり誤解されている仲間のことをなんとかしたいです。誤解されている仲間のなかには、人生をあきらめてしまっている仲間が少なからずいますから、誤解されることの恐ろしさは人生を捨ててしまうことになるということなので、僕も危ないところだったかもしれません。

僕は・・・大事な両親のおかげで、少し言い方を間違えたら先生が困っていたので面白かったですが、僕のことを大事に思ってくれる両親のおかげで、僕が相当に大変なことをしても、僕は人生をあきらめずにすんだけれど、普通なら僕みたいなことをしたら、親が育てられなくなって、どこかの施設に入れられてしまうわけですが、いったん施設にいれられたらほとんど終わりというのが、僕たちの障害の悲しさです。施設の職員の悪口を言うつもりはありませんが、今の施設の体制では僕たちに日々ていねいにかかわることはむずかしいので、どうしても放置することになりますが、放置するのは、僕たちがどこに行ってしまうかわからないので、結局は薬を飲まされてしまうということになります。薬をのまされたらもう終わりです。

薬を飲まされたら眠るしかなくなって、あとはただひたすら時が過ぎていくのを待つしかなくなるので、僕は僕の友人が何人もそういう方に流されていってしまったのを悲しく思っているので、そういう仲間にこそ、こういう機会を提供してあげたかったと思いますが、もしかしたら、まだまだこのやり方が簡単には世の中に受け入れられない以上、いったんそちらの方向に流れていった仲間を救うことはむずかしいかもしれないととても悲しい考えを持ってしまっているのですが、いまやらなければならないことは、まだそちらの方に流されずにすんでいる仲間を絶対にそちらに流されないようにすることです。今年僕が一番気にしていることはそのことです。今年の初めから、今日の会で何を言おうか考えていたのですが、今日一番言いたかったことは、僕たちのような誤解される存在を、これ以上人生をあきらめる方向に流さないでほしいということでしたから、このことがまず言えてよかったです。

今日は声が出ているけれど、これは気にしないでください。先生も少しおっかなびっくりだというのがわかりましたが、(笑)先生もさすがに体が僕より小さいので、(笑)何が~か、やばいと思っているようなのですが、先生も仕方がないとは思いますが、別に僕が何もしないのは先生も知っているのですが、さすがに声が迫力があるんだと思います。(笑)声が出るたびにびくっとしてくるのが(笑)わかりますから、先生も驚いていると思いますが、別に大丈夫ですから安心してください。

ところで先生のやり方については僕もよくわからないのですが、間違いなく音をとってはいますが、音が取れるはずもないので、いったいなんで伝わるのか本当に不思議ですが、確かにこのまま話していると僕の頭の中の言葉と同じなのですが、少し違うと思うのは、先生が先に言った言葉の中にあっているものがあるとそれでいいと思っているときがあるということです。それは決して先生が伝えていないということではなくて、僕の頭の中の考えにふさわしい言葉を先生が言って、それで言葉がなりたっている瞬間があるので、そういうことも間に挟まっているということです。

そういうのは別に僕たちにとっては困らないのですが、違ったときには違うとさっきから僕たちが言っているように、このやり方だと少し先取りも起こっているのかなと思いますが、別に違ってたら、違うといいますし、今、なぜ蹴ったかというと別に関係ありません。(笑)ただ、一瞬足が出ただけですので、そこにあまり意味を取らないでください。(笑)親は大丈夫なのですが、親はいろいろわかったうえで、みなさんの手前なにもしないわけにはいかないので、(笑)必ず何かしてくださいますか。それは、全然大丈夫なので安心してください。(笑)ところで、僕ばかり話してはいけないので、次の方に移りたいと思います。言いたいことは全部言えたので、ほとんど僕の話は長い意見を言わなくて大丈夫です。以上です。(拍手)

T.I.君:
もう何度もお会いしたので、僕は大丈夫ですが、先生も何度もお会いしてても、びびるあたりが面白いんですが、(笑)先生以上にびびる人もいるかもしれませんが、僕たちにとっては同じ苦しみを分かち合った仲間なのと、少し違う苦しみがあるということをお互いに考えあった仲間なので、もう全く同じ感覚で話ができるようになりましたが、最初はどうやって、お互いに共通の話題を考えたらいいのか悩みもしましたが、今は同じ土俵の上で話ができていてうれしいです。土俵と言ったのは大変失礼だったかもしれませんが、僕はK.Y.さんを見ていると、おすもうさんのイメージを(笑)思い浮かべたのかもしれません。同じステージのうえでとか、言えばよかったのかもしれませんが、つい土俵といってしまったのは許してください。(笑)

ところで、こんなふうにしてイメージはどんどん湧き上がっていってしまうので、時々危ないことも言うのかもしれませんが、今年やりたいことについていろいろあると思うのですが、今日は高校3年生の人は何人いますか。今、先生が目が合うというのがよくわかりましたが、向かいのS.K.君が高校3年生であることがわかりましたが、ほかに高校3年生の人はいますか。もしいなかったら中学3年生の人はいませんか。いなかったら小学校6年生の人はいませんか。さっきのJ.M.君は6年生ではないんですか。(柴田先生:5年生?J.M.君は、指で5を示した) ありがとうございます。

僕たちのなかで指で5と指差せるのはあなただけなので、(笑)あなたの存在は貴重です。なぜならもし疑う人がいたら彼に聞いてみるといいということになります。僕の場合は疑われたら、疑っているのが正しいかどうかも、また柴田先生に頼まなければ(笑)わからないので、堂々巡りになるのですが、J.M.君はあとで、あれは本当だった?と聞けば、本当かうそか誰にも頼らずに言ってくれるので、一番の証明をしてくれる方だと思いますが、J.M.君は5年生だと思うので、5年生だと思うではなくて、5年生だということなので、まずはS.K.君がこの3月に社会人になるにあたって、今何を考えているかについて話してもらいたいと思います。

S.K.君のことを僕から紹介するのも変ですが、僕が肢体不自由の養護学校、K.Y.さんが、知的障害の養護学校というふうにいうと、S.K.君だけが盲学校の人になります。盲学校だからどうということでもはないのですが、盲学校から来ている唯一の仲間ということになりますが、盲学校だけが学校の勉強をしているという不思議な話をいつもS.K.君がしていて、僕たちはあまり学校で、学校の勉強を聞かせてもらえていないのですが、S.K.君だけは学校の先生ががんばって、とてもていねいに教科の勉強をさせてもらっていると聞いていますが、その話は今日はメインではなくて、今日の大事な話は高等部を卒業するにあたって、どんなことを考えているかだと思うのでよろしくお願いします。ではS.K.君、お願いします。

S.K.君:
S.K.です。今日は、僕は高等部にあがる直前の会なので、やはり進路について話そうと思ってきましたので、当てられてうれしいです。僕はとうとう進路は決まりましたが、本当に行きたかったところで僕が少し暴れてしまったので、その施設には行くのが難しくなって、第二希望のところに行くことになりそうですが、まだ本決まりではないので、よくわからないのですが、だいたいそこに行けそうな気がしています。

僕が前からみなさんに質問してわかったことは、どういう施設かではなくて、どういう職員がいるかで変わるというふうに聞いてきましたが、僕の場合にはどちらの施設にもそれなりにいい職員がいたので、その施設の職員がうまく僕を理解してくれれば、僕は4月からいい生活が送れると思っていますが、少し心配なのは、学校の話をさっきT.I.さんがしてくださいましたが、僕だけがここにいる仲間のなかでは、とてもていねいに学校で勉強を教えてもらいました。例えば僕は国語では、百人一首をすべて学校の先生から教わりましたし、島崎藤村の詩も教わりましたし、世界の国々の話も教わったし、たくさんの知識を身につけて社会に出たのですが、その知識を本当に社会で生かすことが出来るのかということが心配です。知識を社会で活かすことが出来なければ、僕のせっかく学んだことが、無駄にはならないけれど、活かすことができないからですが、少しずつでもそれが活かせるような場はないかと考えているところですが、こうやってこういう場所で話をしていると、やはり学校で勉強してきたことが活きているような気がします。

僕の中にある言葉は学校の先生から教わったものがたくさんありますし、僕の頭の中に広がる情景は、学校の先生が見えない僕に語ってくれたものですから、やはり学校でたくさんの話をきいたことが、これからも社会で生きていく僕のことを作ってくれるのだなと思いました。T.I.さんから言われなければ、そのことを忘れるところでしたが、本当に指名をしていただいてよかったです。僕は目が見えないので、僕の頭の中には人から聞いたイメージだけの世界が創りあげられていくのですが、今日聞こえてくる声の人たちの顔もじつは見えないので、さっき土俵の話がでましたが、僕には声も聞こえないので、柴田先生の声だけで他の人の意見が聞こえてくるので、個性がなかなか伝わらないのですが、確かに先生の言葉の調子で、ひとりひとりの個性は伝わるのですが、やはり直に声を聞かないとわからないものだなと思っています。

それにしても、今日は大勢の人がいるのはわかります。僕たちの勘は鋭くて、この場所が広いか狭いかとか、ここに何人ぐらいいるのかは気配でわかるのですが、さすがにそこで終わりです。人の気配以上に、誰がいて、どんなことを考えているかなどはわかりようもありませんが、今日は大勢の人たちが来てくださっているので僕もがんばって話しができているように思います。

今日の話し合いのテーマである、今年は何をやりたいかについては僕は、新しい世界で存分に僕の可能性を花開かせたいということですが、まだまだ僕の心の声はあまり世の中には届いていないので、まずはこの心の声を理解してもらうことから始めなくてはいけないかもしれませんが、幸い施設の先輩にY.I.さんもいるようなので、少しずつ心の声が本当は僕らの中には宿っているということを一生懸命伝えて生きたいと思っています。そうすればもう少し僕たちのまわりは変わっていくと思うので、そういうことから始めたいというのが今年の抱負です。以上です。

今日は、思ってきたこと以上に話せてよかったです。やはり話し合いというのは、ただひとりで考えているよりは、いろいろなところがわかるのでよかったですが、今日も少しずつでも理解してくださる方が増えるのが僕たちの願いなので、今日もよろしくお願いします。以上で僕の意見は終わります。

ところで今日の通訳の方は、あと何人かいらっしゃると思うので、いったん、大変僕のわがままで申し訳ないのですが、違う人の声の通訳も聞きたいので(笑)通訳を違う誰かできる・・・できる方にまわしていただけないでしょうか。以上です。(笑)(拍手)

T.I.君:
面白かったです。そうですね。では、今日通訳が出来る方は、まずはK.K.君なので、向かいですでに言葉が書かれているので、K.K.さん、お願いします。

K.K.君:
みなさんこんにちは。今日もよろしくです。なんか今日もおとなが多くてどきどきです。でもがんばって楽しく意見を言っていきたいです。よろしくね。

きんこん通信のことですが、僕の仲間の、こんぺいとうの会の仲間にも読んでもらいたいので、6人分ほしいです。みんなも別の会の仲間にほしいですよね。で、思いついたんだけど、いろんな人が写真を撮ったりしているので、いいのがあったらプレゼントしてください。それを通信に載せられたら、いい通信が作れるのではないでしょうか。よかったら写真をプレゼントしてください。

あと僕の話を少しします。僕はお母さんと小1くらいから筆談をし始めました。初めはうまくいかなくて、僕も筆談の練習がすごくいやだったし、ママもいつもへとへとで、イライラすることもあって、僕も心の中で泣いていることが多かったし、ママもそんな気持ちになることが多かったと思う。何年も何年も泣きたい気持ちをばねにして、毎日毎日筆談を続けてきて、いまやっとよかったと思えるようになりました。お母さんとは今、筆談しなくてもだいたい心が通じていると思うし、まわりの人も優しくなっていると思う。

お母さんは活き活きして生活しているし、僕も思うことが通じる人たちが増えています。今年は20歳、記念の年なので、僕の夢、詩の本が出版されたらうれしいです。とりあえず、きんこんの会でたくさんの人と話し合う喜びを感じつつ、僕の言葉を綴り続けたいです。(拍手)

T.I.君:
ありがとうございました。次に違うパターンでできそうなのは、目の前のF.C.さん、お願いします。確か山梨の先生でしたよね。よろしくお願いします。あの先生も相当な速さでできるといつも先生が言っているので、できるだけためらわずに速くやってみてください。(笑)そのほうが面白いので。

(寝てます)

柴田先生:
寝てますか。
・・・
T.I.君:
わかりました。寝てはいるけど、かすかにまだ・・・あとにしてくださいとまでは言えたんです。(笑)

後にさせていただいて、大変申し訳ないですが、S.K.君たぶん、これ以上は、あとは柴田先生の声になると思いますが、柴田先生にも少し声色を変えてもらうとか(笑)してもらいたいと思いますが・・・。

ところで今年の抱負について、僕は誰が何を考えているかよくわからないけれど、さすがに今日は僕もよくわからないですが、順番に行くことにしましょうか。最初にいま僕の右に一番近いのはK.Y.さんの次は、A.K.君なので、A.K.君から一発新しい話を(笑)聞かせてもらいたいものだと思うので、よろしくお願いします。一発というのは、彼は、あっけらかんとしゃべれる方の代表格の人なので、あっけらかんと、あけましておめでとうとやってほしいと思います。

A.K.君:
わかりやすい紹介をしてくださってありがとうございました。僕は、あっけらかんの代表のA.K.ですが、今日のあっけらかんの話は、あんまりあっけらかんとしてなくて、僕もさすがに最近は悩んでいるのは、こんなにみんなと話し合いが出来ているのに、なかなかお互いの気持ちが外の世界に届いていかないことですが、今日もこんなに大勢の人が来てくださっているのに、世の中からすると、この場所はやっぱりまだまだ世界の片隅みたいなものなので、なかなか難しいとは思うけれど、僕は今年はもっと大きなことを考えたいと思っているのは、今年こそやっぱりみんながどこか何でもいいから、テレビでも新聞でもいいから、何でもいいから出ようということです。(笑)今日もいろいろなカメラの人が来ているので、ぜひ僕たちをマスコミに登場させてください。(笑)

僕はマスコミに出るのが昔からの夢でしたが、それは別にアイドル歌手のようなつもりではなくて、いつか自分たちの言葉を世の中に届けたいという思いがあったからですが、そろそろそういうことが実現に近づいてきたかなという思いがしています。少しずつでも、あちこちで紹介されるようになったし、今日も後ろの方でノンフィクションライターの方もいらっしゃってますから、僕たちのことが少しずつ世の中に出て行くことは、間違いないと思うので、世の中の人に僕たちの言葉を伝えたいと思うのです。

なかなかこの方法がわかりにくいというのがあるのだと思いますが、この方法を使わなくてもけっこうできる人がいるので、例えばK.K.さんのやり方まで疑うようになったら、もう何を言っても無駄ですので、K.K.さんのやり方などを前面に出していただければ、そんなに世の中の人はわからないとは言わないのではないでしょうか。僕はまだわかりやすいやり方ではなくて、この柴田先生のわかりにくいやり方でしか(笑)、話せないですけれども、このやり方は最後まで理解されないかもしれないけれど、じつは柴田先生だって、一対一のときには、パソコンを使って、もっとわかりやすいやり方でやっていますので、そのやり方なら世の中には通じると思っていますが、特に僕の場合は自分で手を動かしているぐらいは人に伝えられますから、僕をテレビに出させていただければ、(笑)僕のことをうそだと言ったら、僕がどのように反論するかぜひ見せてあげたいと思います。

今日はJ.O.君がいないので、これを受けていろいろ言う人がいないので残念ですが、僕たちの目の前で一度本気で反論してもらいたいと思っています。本気で反論して、本気で答えられる人がいたら、一度きちんと話をしてもいいと思いますが、僕たちからすれば、みんな陰口でしかありませんから、いろいろ言われたって、むしろ言っている人がなんと小さい人間なのだろうとしか僕は思っていないので、一度でいいから、僕の目の前で本当の反論をしてもらいたいと思っています。そうしたら、僕らは僕らのきちんとした反論を用意しているので、そのうえで本当にこれでも僕たちの言うことをうそだと言うのなら、それはそれで、初めて対等になるので、そういう経験をしてみたいと思ってるので、僕はぜひテレビでも新聞にでも出たいし、新聞では顔しかわからないかもしれないので、ぜひ動いている僕を目の前で見てもらって人に判断してもらいたいと思っています。

先生は僕に会ったとき、僕は最初からわかりやすいと言ってくれて、なんの苦労もなく簡単に50音のパソコンで字を拾ってくれましたが、僕もこんなに簡単にわかるのなら、そのあとはみんながわかってくれるだろうと思っていたら、とうとう在学中は誰一人、僕のやり方を習得した先生は現れなかったどころか、だいたいみんな、僕のやり方を見ると、やはりあれはおかしいということになってしまって、僕は完全に言葉を理解できているとは思われないまま、高等部を卒業せざるを得ませんでしたが、先生が最初に僕をこんなにわかりやすい少年は珍しいと言ったあの印象が、いつまでも残っているので、僕はぜひテレビに出て、きちんと僕たちは本当に話ができているということを伝えたいと思います。

あのときなぜ先生がそこまでわかりやすいかと言ったのは、僕の手はけっこうきちんと動いているので、方向がうまく取れないだけで、どちらのスイッチを押そうとしているかだけは、押そうとしているのか、引こうとしているかとは、見ているとはっきりわかるのだそうで、それまでも疑うようだったら、その人は、信じないものすらなくなるのではないでしょうか。目の前で起こっていることを信じられないのなら、もはやその人は、何も信じないという生き方を選んでいる人なので、そういう人と話すのは無理かもしれませんが、そのぐらいまで言わずにはいられないのは、やはり一度も僕の目の前で本当に僕のことを議論してくれた人はいないからですが、今日はあっけらかんという話ができないと言ったのは、このことがやはり今日も気にかかっていたからです。

なぜ今日、気にかかっていたかというと、僕たちの学校で、今、僕は卒業したので、もう僕たちの学校ではないですが、なかなか難しい問題が起こっているということを母から聞いたからです。母は、あまりくわしくは説明してくれませんでしたが、たしかこのあいだ、そのことを先生も話していて、先生の知り合いらしいですが、ある学校の先生がきびしい食事指導をしたおかげで、ひとりの子が学校に来れなくなっているのですが、そういうときには必ず、先生の責任は問われなくて、その親の責任や子どもの責任ばかりが問われてしまうということでしたが、たしか先生もそうとう悲しいことを言っていたのは、しばらくはあきらめるしかないと先生が断言したのがとても悲しかったです。

先生が何を知っているのか知らなかったけれど、先生があんなあきらめた発言をしたのは初めてだったので、そうとうに僕も暗澹たる気持ちになって、そのことが頭から離れなかったからです。あっけらかんとした話にならなくて申し訳ないですけれども、まだまだそういう現状があるのが、僕たちの周りなので、こういう会は、まだまだ突出した会だと思うのですが、その突出したところでがんがんやっていかないと、僕たちもつぶされてしまうので、誰がなんと言おうと僕はこういうところで言いたい放題を言おうと思っています。

去年は出生前診断の話をずいぶんしたので、話がなかなかあっけらかんとはいきませんでしたが、今年もその問題から目を離すわけにはいかないのですが、みんなの意見はだいたい、もう、きちんと固まっているので、その意見については、いつでも誰かが、僕たちの、みんなの考えとして語れるので、あえて話さなくてはいけない話題としては、今僕たちの周りで起こっている大変なことなのではないかということですが、そのひとつが今の話でした。

今の話はよくわからないと思いますが、あまり具体的に言うと問題が多いし、僕もよく知っているわけではないし、先生の声を聴いていると、先生は具体的に知っているので、あまり言わない方がいいかなと思いましたが、そういう僕たちの存在を、まだまだ認めてくれない世の中が多いなか、これだけの人がわかってくれということは、僕はこのきんこんの会の活動が、やはり間違っていなかったということの表れだと思っています。

きんこんの会を始めたときには、本当に少なかったメンバーが、こんなにたくさんの人を集められたのは、やはり僕たちの言葉が、まだ誰も言っていないような内容を含んでいるからではないのでしょうか。あちこちでこういう言葉が語られるようになったら、わざわざここに来る必要はなくなると思うので、いまここで聞いていただけるというのは、まだよそではこういう話がされていないからだと思うので、僕はそのうちにこの会に来る人がいなくなったときが、この会の成功したときだと思います。あっちにもこっちにも、そういう会ができたので、もうみんなここに来なくてもわかってるし、そういうことが当たり前になったら、僕たちは静かに、そのときに老後になっていないことを祈るだけです。(笑)

老後の語り合いではなくて、もう少しちょっとした時間が流れた後に、ああゆうふうにたくさん人が来ていたときがなつかしいねとか、僕たちの言葉が世の中に広まったら、僕たちまたさびしくなったねと言いながらお茶を飲むのが僕の夢です。(笑)全くの冗談ですが、そんなふうにいつかなればいいと思っています。こういうあっけらかんとした話で少しひと区切りつけさせていただけたらと思いますので、それではそのまま右側にいっていいでしょうか、T.I.さん。

いいという顔をしていたので、(笑)となりの方にまわりたいと思います。A.I.さんでしたね。A.I.さんよろしくお願いします。(拍手)

A.I.さん:
A.I.ですが、さすがにA.K.さんは面白いですが、私は少しゆっくりと真面目に話をしたいと思ったのは、私の仲間が今日はふたり来てくださったのですが、私の周りでは今、新しいNPOを作り始めたところで、こうやってみんなで話し合うことを目指しているのですが、なかなか通訳になれる人が少なくて、うまくはそこのところは回っていないのですが、でもこうして少しずつ仲間が来れるということは、私の周りの会が少しずつ広がっているからだと思っています。

わたしの地域は、埼玉県の川口ですが、そのへんはまだまだ障害者に対する理解が進んでいなくて、東京や神奈川の方が進んでいるように見えるのは、少し隣の芝生が青く見えるというものかもしれませんが、私たちにとっては、まだまだ地域の理解が進んでいないというのが現実です。特に私たちが何かをしようとすると、だいたい行政の人が無理だというふうに言うことが多くて、何をしようとすると、あまりうまくは行かないのが現状ですが、少しでもがんばって前に進んでいきたいので、私は今のNPOをきちんと大きくしていきたいと思っています。

私が関わっているNPOというか、私の母が一生懸命になってつくったNPOは、えがおというNPOで、NPOといっても本当にちいさなものですが、そのNPOで一生懸命、こうやって話し合う機会を作ろうとしています。私の母もこんなに速くはなければ通訳はできるので、私の母ががんばって、そのなかで通訳をしていますが、こんなに早くなくても、今、それまで言葉が伝えられなかった仲間が、カタコトのような単語でも伝えられるようになって、周りの見方が大きく変わろうとしているところです。特に、ひとりの少年は、その方も盲学校の出身者でしたが、最初柴田先生とやったときは、先生が手を添えなければできなかったのに、今はひとりで単語を選べるようになったので、もはや誰も疑う人はいないどころか、それまでその子のことを何もわからないと思って言ってきたことに対して多くの人が悔いるような思いでその子と関わり合い始めたのが救いです。

その子は、最初は、さっきK.Y.君が言っていたようにもう人生はあきらめていたので、毎日、作業所では、耳を引っ掻いては血だらけになっていて、そんな作業所に行く必要はないのではないかとみんな言っていたのですが、私たちは少し違う考えを持っていて、その作業所にも必ずわかってくれる人がいるはずだと思っていたら、やはり本当は、わかってくれる人がいて、いったん彼がきちんと心を開いたら、いままでのことを謝ってくる職員もたくさんいて、いまはとてもいい作業所になったみたいです。そのひとりの力で作業所全体が変わるという事実を、私は目の、目の前で見たので、今のを説明すると、先生は目の当たりと言いそうになって、私が目の前と言ったので、言い換えた瞬間に、音を先生が選んでいるのがわかってとても面白かったということを一応付け加えさせていただきます。目の前で見たので私は、とても可能性を感じ始めました。

やはり私たちの言葉を本当に伝えられた瞬間、人は変わるのだなと思いました。最低限、私たちのところに関わろうとしている人たちは、最初は必ず私たちとともに生きようと思った人たちなのですが、いろいろな経過のなかで、お互いに気持ちがずれてしまっていただけなので、こういうことを通じて、気持ちのずれが一致すれば、また元に戻れるのではないかというのが、今私が思っていることです。少しロマンチックかもしれませんが、そういうずれが直っていくことも、こういう活動の先に見えるような気がするので、ぜひ今の場所できることのなかに、一旦信じてもらえれば人は変わるかもしれないという可能性も交えて考えていただければと思います。

いい会になってきたので、私はとても満足していますし、今回通信のことはとても嬉しかったです。T.I.君の提案文を見たときに、私はとてもうれしかったのは、ここに来れるのは、私と今日はふたりの仲間ですが、本当にこのことを伝えたいのは、ここに来れない人たちだったので、ここに来れない人に向かって発信する手段が見つかったのはとても嬉しいです。まだ私は丁寧に見ていないけれど、私もすぐに喜んで、私の言葉を先生に送らせてもらいました。先生はすぐには返事をくれない人なので、(笑)今日まで返事がなかったので、どうなったかよくわからなかったのですが、会うなり返事を出さなくてごめんねと言っていたので、(笑)わかっていたのかと思いましたが、(笑)先生のところに送った原稿がそのまま通信に載っているはずです。

先生が返事を出さないときはオーケーのときだっていうのはわかっていたので、私は安心していましたが、さすがに今日できるとは思っていなかったので、現物をみたときには驚きましたが、こんなふうにして私たちが少しずつものを書くことならば、簡単に通信にできることがわかったので、大きくなると先生も大変かもしれないのと、こうやって私たちが話しているのを後でまとめるとなったら大変だと思うのですが、いったん私たちが書いた文章を先生が、ただまとめるだけならきっと簡単なのかもしれないので、ぜひ今度は他の人も書いてください。

私もまた家で、お母さんと一緒に文章を考えたいと思うので、書ける人しか、まずは難しいかもしれないけれど、別にこのなかの人間同士のコミュニケーションではなくて、来れない人に対するコミュニケーションの方法なので、ぜひそれぞれ書ける人だけになってしまっても、みんなの気持ちということでやり続けていけたらうれしいなと思います。ときどき先生に会える人は、そのときに短い時間でもいいから通信の文章を書けば、それを載せてもらえると思うので、それぞれ先生と会えるかどうかも違いますけれども、私は、最近は先生が忙しくなって、なかなか会えなくなりましたが、会えた時にはいろいろ聞いてもらっていることなので、そういうチャンスのある人は、そういう機会を使ってでも通信の文章を書くといいと思います。私はこの通信が、あちこちで配られることが、とても世の中を変えるのではないかと期待しています。

通信のなかでは通訳の方法のことをたいして書いてないわけですから、私たちの言葉だけが純粋に届いていると思います。ある人は内容がおかしいと言うのかもしれませんが、内容は私たちの言葉ですので、方法のことは後回しにして、内容のことだけでいいと思うので、この通信はけっこう意義深いのではないかと思っています。みんな先生がわたしたちのことを通訳しているときに何を考えているかわかると言いましたが、いまの私の話は先生は全く予想外のことだったので、驚いて通訳しているのはわかりましたが、先生もさすがにそのことは考えていなかったようなので、この通信の魅力はきっと内容だけが伝わってくところにあると思うので、ぜひあちこちに配られればいいと思います。

私たちのこういう内容が伝わったあとで、方法はそれではいったいどうなってるのという順番がいろいろまたわかりやすさも出てくるかもしれませんが、方法から先に入っていくと、どうしても通訳の方にばかり目がいって、私たちの意見の方に目が行きにくくなるので、私はそういう内容先行の方法も捨てたものではないと思ったので、T.I.君の提案はとても素晴らしいものだと、いま改めて思っていたところです。以上で私の今日の意見を終わります。私も長い意見はこれ以上言わなくていいので、他の人で言いたいことがある人はどんどん意見を言っていただけたらいいと思います。それでは右隣にどんどん行っていいのでしょうか。それではT.O.さんお願いします。(拍手)

T.O.さん:
僕はT.O.ですが、今日は司会じゃないので、のんきにしていたら、とうとう声がどんどん出始めて申し訳ありませんでした。のんきにしていると声が出るというのはわかってはいたのですが、声が出るのをとめるのはまだ難しいので、とうとうたくさん声を出してしまいましたが、この場所では誰も何も言わないので、僕もけろっとしていましたが、さすがに少し声が大きすぎて申し訳ありませんでした。

ところで通信については、僕は大変申し訳ありませんが、このあいだ先生に会う機会があったので、通信を書かせてくださいと言って、書いた文章が載っているはずです。そんなふうにチャンスがあったら、そういうふうに書くこともできるので、僕は家でお母さんとも書けるのですが、お母さんと書くよりも先生と書いたほうが、簡単に書けるので、それで先生に頼みましたが、家で今度は書きたいと思います。

ところで、通信をさしあげたい方は、僕は実は仲間以上に自分の作業所の人です。作業所の職員にぜひこういうのを見てもらいたいというのが、強い思いです。それは僕の作業所は、僕たちの言葉についてはすでに理解してくださっているからです。だから方法や僕たちのことだけでなく、いろんな人がこんなふうにして集まっているということを伝えたいので、僕はこの通信を一番先に見せたいのは、今の作業所の職員の方々でした。作業所の職員の方にとても恵まれているので、僕は毎日きちんと何でも聞いてもらえますし、その聞いた答えにそって、みなさん少し違っていても、その違った答えを大事にしてくださいました。

今日は見えてないけれど、あのS.T.さんが、おっしゃっていたことがとても僕は忘れられないのですが、本当にどっちを選びたいかよりも、どっちを選びたいかは間違いでも聞いてくれたことのほうが、私にとっては大切だったと、あのセリフが忘れられないので、僕もいま作業所で少しぐらい内容がちがっても、きちんと聞いてくれることをとても喜びに感じています。いずれにしてもたいした内容ではないと言ったら失礼なのですが、甘いものか辛いものかぐらいの違いでしかないので、本当に大事なことは実はちゃんと伝わるのが面白いところです。それは僕たちも、それは絶対に伝えなくてはいけないことについては、必ずきちんと伝えようとするので、なんとか伝わるので、安心しているのですが、どちらでもいいとどっかで思っていると違うふうに伝わるので、やはりむずかしいなと思いますが、そういうことを僕は、今日は考えて来ました。

ところで、今日のお母さん方のなかに、今日の僕の来方について少し説明したいことがあります。今日は僕、母の仕事の関係で、家にいなくて、ヘルパーさんとだけで来ました。ヘルパーさんとだけでも来れるので、ぜひそういう冒険もしてもらえたらうれしいです。ヘルパーとだけで来るというのは、町田の人たちにとっては当たり前のことみたいですが、僕にとってははじめての経験で、ヘルパーさんとだけで来るのはやはり自立できている感じがしてうれしいです。ヘルパーさんと来るとき、いろいろ困ることがないと言ったらうそになりますが、それはヘルパーさんには申し訳ないですが、親は顔を見ただけでいろいろなことがわかるので、聞かなくてもすむことが多いのですが、ヘルパーさんはすべて聞かないとわからないので、全部僕に聞いてくださるわけです。

ヘルパーさんは筆談ができるようになってくれたので、ヘルパーさんは筆談でなんでも聞いてくれるのですが、ときどきはとても申し訳ない気になります。母ならこんなことは聞かずに勝手にやってのけることを(笑)ヘルパーさんは聞いてくださるというのは、ある意味では、これが社会の介護のあり方なのかもしれないので、それはそれでとてもうれしいのですが、そういうことも含めて今日はヘルパーさんと来れてよかったなあと思っています。ヘルパーさんと来ると社会のなかで、母と別に行動するということがどういうことなのか、ようやく見えてきたので、僕はそれが少し遅いのかもしれませんし、母はいつまでも僕を子どもと思っていたいので、離れたくないという気持ちもよくわかるのですが、やはりヘルパーさんと来ると、社会のなかでどういう介護が望ましいかまでよくわかってくるので、今日はとてもいい経験をしました。

いまのことは、おまけのようなことですが、今日は母がいないので、母がいたら今のなかのいくつぐらいかはいえなかったので、母がいないときでないと言えないこともあるなと思いましたが、僕の母はけっこう社会的にも仕事をしてきた人なので、こういう場になると、けっこう発言もきちんとできてしまうので、僕もついつい母のそういう部分に頼ってしまうところがあるのですが、やはり自分でヘルパーさんの通訳を通していろいろ頼んでいくことも大事なのだなと痛感している今日この頃、というのはおかしいですが、今日の私の一日です。以上で終わります。

ところでT.I.君にいったん戻さないと、隣の人のことについてT.I.君が言いたいことがあるといけないので、いったんT.I.君にお返しをします。(拍手)

T.I.君
僕は、今日は自立のことについて考えてきていたので、これはここで今日は話さないけれど、いまのT.O.さんの話をきいて痛感するところがあったので、いい話でしたが、いったん新しい人には話をしてもらったけれども、新しい人は、まだ言いたいことの半分も言えてないと思うので、そのまま新しい人にもこの通訳のことをわかってもらいたいので、そのまま話をしてもらえればいいと思いますので、よろしくお願いします。それではどうぞ。

S.N君:
僕は今までの話を聞いていて少し驚いたのは、みなさんもう何度もこの会に来ていて、世の中に対して、きちんとうったえていこうという気持ちが確立していることです。僕はまだ世の中に対して、どこかあきらめているところがあるので、どうせ言っても始まらないという気持ちで生きてきましたが、こんなにみなさん言ったら何とかなると思っているので驚きました。それに長いつきあいだと思っていたK.Y.君もけっこう世の中にうったえていこうという感じだったので、とても感激しました。

僕たちは長い間、世の中から誤解されてきたので、もう二度と理解されることはないとあきらめていましたが、もちろん家族や養護学校の先生たちは別でしたが、世の中の人にわかってもらおうにも、わかってもらう手がかりがない以上、僕もそれを期待するのが無理だと思っていたのですが、まさかこんなやり方で、気持ちを通訳する人が現れるとは思わなかったので、これなら僕たちも何か言っていけそうだという気持ちになりました。K.Y.君の話では何という名前か忘れたけれど、僕たちの仲間のなかに本まで出していて、講演会までする人もいると聞いたので、なんとかして僕たちの人生をもう一度取り戻すために
がんばらなければと思いました。

僕もさっきからみなさんの意見を聞いていて、とても勇気づけられたのは、やはり言いたいことは言っていいんだという気持ちが持てたことです。まだ自分で言うことは難しいけれど、何らかのかたちで僕も言えるようになったらいいなと思いました。さっきA.I.さんがひとりで出来るようになった人がいると言ったけれど、たいへん申し訳ないのですが、僕はこのなかでは、体のハンディがないので、僕もいつか、ひとりでしゃべれるのかと思いましたが、それはまたこの先生に会ってゆっくり教えてもらいたいのですが、僕はもしひとりで話せるようになったら、みんなの分まで話したいし、仮に話せるようにならなくても、みんなと同じように通訳を使って、使ってというと失礼かもしれませんが、通訳はやはり使うものだという考えに立って、通訳を使って言いたいことを言って、世の中を変えていけたらと思います。体が勝手に動いているということひとつとっても、まだ世の中はそのことを全然理解してくれていないです。少しずつそういうことを言っている人がいるのは知っていたけれど、そのことを学者がとりあげていないので、全然難しかったです。この先生も学者なのでしょうが、学者の中ではきっと珍しい人なので(笑)まだ、学者の中では認められていないのですよね。(笑)

学者の中で認められていたら、僕たちの行動について、もっと優しい見方ができていいのに、誰も勝手に体が動いているとは言わないので、僕たちが全く不思議な感覚を持って生きているので、こういうことをするとしか思っていないので、やはり普通にものを考えていても体が勝手に動けば、こういう行動を取るのだという説明をきちんと誰かがしてくれないと、僕たちは本当の理解を得られないと思いますが、先生も少しずつはそのことを言おうとしているのでしょうが、ぜひ大きな声でそれを言って、世の中の常識を変えていただきたいと思います。

勝手に体が動くだけでなくて、声が勝手にでるのも、じつは僕たちの仲間の特徴ですが、お隣の方は肢体不自由なのに声が勝手に出るのを聞いて驚いてしまいました。僕は、これは僕たちの仲間に特有なことだと思っていたので、まさか肢体不自由の方で勝手に体が動くだけでなく、勝手に声がでる人がいるとは知らなかったので、驚いていますが、僕は、声は勝手に出ないのですが、体は勝手に動くけれど、僕たちの仲間の大勢の人が、勝手に声が出て困っています。それはそれでまた大変な誤解の塊です。コマーシャルばかりしゃべっているといわれている人は、コマーシャルでないことを考えていることぐらい僕にはわかります。それは、僕たちが同じ仲間だからです。

僕たちの体と言葉は、言葉も体もコントロールできないというところが特徴なのですが、誰も自閉症の特徴はそこにあるとは言ってくれません。自閉症という名前自体がおかしな名前ですが、体と心のコントロールにハンディを持つ人間といわれればすむことなのに、それがうまく理解されないで、とても苦労してきましたが、こうしてそのことがあっさり言えてしまうと、なんだかいったいなんでこんなことに世の中の人が気づいてくれないのだろうと、あらためて歯がゆい思いがしていますが、これだけしゃべれればもう言葉のハンディもないし、あとは、うまく行動さえできれば、全く自分も普通の人として生きていけるのになあと思っていますが、まだ先は長いでしょうが、僕もがんばって僕の周りから変えていきたいと思います。

じつは母たちは、僕が小さいときから普通にものを考えているぐらいわかっているのですが、それを肯定する専門家がいないので、母は、僕とふたりっきりのときしか、僕がすべてをわかっている存在として扱ってくれませんが、それは言い方は悪いですが、母だって社会を生きていくうえで、僕がすべてをわかっていると言うと、親ばかとしか言われないからで、親ばかといわれ続けるよりは、人の前では何もわかっていないという人に話をあわせておいて、ふたりっきりになったら、今日はあなたも苦しかったかしらとか、今日はとても楽しかったわねと、ふたりになると、あっさりと僕が全てをわかっているかのように話をしてくるので、そういう理解の仕方は本当は、家族の間では成立しているのですが、それを専門家が覆していたのではないでしょうか。

だから専門家はわかっていないどころではなくて、僕たちの人生をめちゃくちゃにしたと言ってもいいのではないかと僕はふと思うことがありますが、そこまで言うと今度は自分があまりにも心の狭い人間に思えてくるので、それはここだけの話にしますが、母のような感性をそのまま世の中に出していただければ、こういう通訳までは母はできないけれど、母が、僕たちが同じ感じ方を持って生きていることぐらいずっと信じ続けたというか、信じるという言い方すらおかしくて、それはあたりまえのこととしてかかわってくれていたので、僕にとっては当たり前のことが当たり前にならなかったことで、僕たちは苦しんできたといいたいところです。

あまり言っても仕方ないのですが、いままでずっと心の中にたまってきたもやもやだったので、これは言わせていただきたかったことです。専門家の人もこの中にいたら大変申し訳なかったかもしれませんが、専門家が僕たちの人生をずたずたにしたという言葉は、一度僕はやはりうそではない思いとして言いたかったので、今日言えたので、もう二度と口にすることはないと思いますし、そういう専門家の人たちだって一生懸命だったということは知っているので、これ以上言いたくないけれど、母のような感性をどうしてみんな大切にしてくれなかったのかということを、いま少し悲しい思いで思い出しています。

今日のこの会も最初はわかってもらえなかったのだと思いますが、こうしてたくさんの人にわかってもらえる会にまで育てて・・育つことができてよかったですね。いまのも僕が言ったのを言い換えたので、本当に不思議ですが、育ててというと違う意味に取られるので、あわてて育つことができると言い換えたのですが、やはり音を拾っているのだと思うのですが、最初は手だったのに、一生懸命おなかに力を入れて触っているので、不思議でしかたないのです。(先生苦笑)(すいません)(笑)おなかのときは少しきついので、やはりおなかは触っているだけではわからないのがよくわかりましたが、そんなに僕の力がおなかなどに伝わるのかと思うと不思議ですが、確かに強く押さえているので伝わるのですね。それにしても不思議なやり方ですが、僕はまだゆっくりとパソコンでやるやり方を知らないので、一度その誰にでもわかるやり方も見せてもらいたいですが、ついつい長くなってしまうのをお許しください。

僕も生まれて初めてこんなにしゃべっているので、ついついしゃべりすぎてしまいましたが、一番言いたかったことが言えてよかったです。それでは隣の方も今日来た方なので、そのまま行っていいということですね。ではJ.M.君、よろしくお願いします。(拍手)

J.M.君:
僕は手だけでわかるので、大丈夫なのと、先生の顔を見ていると、先生の気持ちもよくわかるので、僕は通訳というか、心が通じ合ってしまう恐ろしさを感じています。先生は言葉だけを聞き取っているそうなのですが、僕たちは言葉の調子から心が読めてしまいます。だから先生が僕とさきほどの方のときには、恐る恐るやっているのがすごくよくわかるのですが、それは初めてだから当たり前のことですよね。

そういうことまでわかるので面白いですが、僕は今日の先輩たちの話を聞いていると、本当に苦労なさっているのだなということがよくわかりました。僕は言葉もある程度話せるし、さっき褒めてもらいましたが、指で数ぐらい出せますから、僕が何も分かっていないといわれることもないし、僕が違うといえば、それは簡単に伝わることなので、さっき言ってたけれど、確かにこのやり方はとても変ですが、このやり方が、僕の気持ちとずれているか、ずれてないかと言われたら、僕は後でゆっくり、ずれてませんと言えるので、誰か聞いてください。

さすがに聞かれないで言うのは、じつは難しいので、聞かれないと言えないのですが、聞かれれば、あってましたと言えますので、ぜひカメラに向かって言いたいと思います。このやり方は、あってると後で言いたいので、先生が聞くと難しいので、誰か他の人が後でうまく聞いて、その返事をカメラにぜひ収めていただきたいと思います。僕もカメラが大好きなので今日は僕も撮影していますが、本当にみなさんの表情が多様なので、うれしくて仕方ありません。僕たちはやはり、いつも肩身の狭い思いをして生きているので、なかなか堂々とした表情をすることができないのですが、今日のみなさんというか、先輩方は、とても堂々としていらっしゃるので、やはり肩身が狭い生き方をするのはよくないなと思いました。

昨日か、一昨日、僕のおばさんが、他の人とこの大学に来たのですが、そのいっしょにやってきた方は、やはり自閉といわれる人らしくて、ときどき遠くまで旅行してしまう人らしいです。その人がなぜ自分が旅行に行くのかということを先生のパソコンでとうとうと話したそうです。その中で、おばが一番感動したのは、旅に行くと、世の中がまだ捨てたものではないことを味わえるからだと言っていたということです。旅に出ると名前も知らない人が親切にしてくれることがあるそうで、そのときにまだ世の中は捨てたものじゃないという気になるそうです。

だから周りが息苦しくてどうにもならなくなったときに旅に出て、まだ世の中は捨てたものじゃないというのを味わいたいから、その人は旅に出ていたのだそうです。もちろん旅に出てしまうとそれはただの脱走だから、大変なことになるのですが、そのことをやらなければすまなくなるほど彼は追い詰められていたということになると思いますが、その人はこの先生にもう僕は旅に出ることはないと思いますと言ったそうです。こんなにわかってもらえたのなら、わざわざ旅に出る必要はないと言ったそうで、たしか旅に出るなら家族と一緒に出ますと言ったのではなかったでしょうか。それはよくわかりませんが、旅に出るのは、ひとり旅はやめるという意味です。

ひとり旅も誰にも内緒で行くのはやめるという意味だったと思いますが、そういうふうに苦労している人たちの話を聞いて、僕は、本当にまだ苦労はしていないなと思いましたが、やはり僕も友だちがほしいです。僕は普通のクラスの子どもたちとも身近に接することができるので、僕はもっと友だちを増やしたいのですが、低学年の頃は友だちが多かったのは、低学年の頃はみんな僕が普通にものを考えていると思ってくれていたのですが、高学年になる頃から、僕はどうも理解力がないらしいということになってしまって、まだ信じてくれる仲間はだいぶいるのですが、一番まずいのは先生たちがあきらめてしまったことです。

先生の中にはいまだに信じてくれる先生が学校にはいるのですが、やはり担任の先生がいったんあきらめてしまうと、担任があきらめたらクラスの仲間たちがあきらめるのは簡単でした。先生がわかっていないように扱えば、周りの仲間もわかっていないように扱ってしまったのです。みんないい仲間たちだったので、とても悲しかったけれど、僕も、僕がこういうふうにしかふるまえないのだから仕方がないと思ってあきらめてきましたが、せっかくこういうやり方があるのなら、僕もこういう通信があるんだよと、お母さんを通してでもいいから、みんなに聞いてもらいたいと思います。担任の先生はすぐにはわからなくても、友だちがわかってくれて、昔のように・・・気軽に声をかけてくれたらうれしいです。

以上で僕の言いたいことは終わります。誰か必ず忘れずに、僕に、後で、あれは本当だったかどうか聞いてください。(笑)そしたら僕は間違いなく本当だと答えると思います。もし間違いだと答えたら、どうしようという不安もありますが、(笑)そんなことは絶対にないと思いますが、少し責任が重くなってしまいましたが、みなさんが簡単に答えられないというのは、少しわかったので、僕は簡単に答えられる人間として、このやり方は正しいということを説明する責任があるのだなと思いましたが、少し生意気な感じで申し訳ないですが、僕はいまちょうど、おとなになる分かれ道に立ち始めたところで、どうやって生きていこうかと悩んでいたところなので、こんなふうに言葉が本当は豊かにあるということをわかってもらえる場があることがわかって、あきらめないでよかったです。さっき、あきらめる流れに乗ってしまうと、どうしようもなくなると言ってきたのですが、僕もあきらめる流れには絶対にのらないということを今日は決意したので、少しぐらい目の前の人がわかってくれなくても、必ず分かってくれる仲間や、人たちがいるということを心に刻むことができたので、間違いなく僕は流されずに生きていけると思います。

たぶんお母さんは、少し不思議な気がしていると思うので、あとでゆっくりとお母さんと話をしたいと思いますが、僕たちの気持ちが本当は豊かにあることは、お母さんもじつはわかっていたので、さきほどの先輩の話に、親の考えを親ばかと言って否定する人たちが多いと言っていますが、僕も親ばかという言葉で、僕の理解を、お母さんがいろいろ言われてしまうのは辛かったです。親ばかという言い方が、本当に親を傷つけるものだということを、何度も目の前で見てきたので、僕も親ばかといわれると辛かったのですが、やはりお母さんは間違っていなかったのだなということを、あらためて感じています。親ばかではなくて、親えらじゃないでしょうかと、(笑)いま思ったので、親えらというか、親はやはり偉いんだなと、あらためて思ったので、たぶんお母さんに向かっては恥ずかしくていえないので、いま言えてよかったです。以上で僕の意見は終わりにしたいと思います。
それでは次は・・・えっと・・・わからないので・・・(拍手)

T.I.君:
分かりやすい話を、あんなに小さな子どもにされて、ちょっとくやしいです。(笑)なかなか僕たちがあの年齢の頃はまだ暗黒のなかにいて・・・僕はちょうどあの年齢で一度テレビに出て、散々な目にあったことがあるので、本当にテレビは恐いものだと怖気づいていた人間ですが、今度こそ堂々とテレビに出たいと思います。

テレビに出たのは、この方法はあやしい・・・この方法ではなくて、ひきるな君のポインティングのやり方がおかしいので、それを検証しようという番組を作ったときの材料に使われたのが僕でした。僕が、筆談ができるのをちゃんとテレビでは捉えていたのに、あのあとすさまじいバッシングにあってしまいました。僕はいくら考えても理解できないのですが、お父さんが書いていたのは、まぎれもない僕の、お父さんが知らない言葉なのに、お父さんやお母さんが勝手に子どもを利用して、テレビに出たとか、いろいろ言われてしまって、もう見ていられなかったのは、親が傷つくところでした。

親ばかとは別の意味で、親は大変だなあと思いました。あのあと、僕はやはり親に対する気遣いが変わってしまって、今日初めてまともにまた親と話ができた実感があったのですが、これ以上僕のせいで親を傷つけてたまるものかというのが僕の長い間の思いだったので、なぜ僕が、かなくなにお母さんに指で字を書くことを拒否したかというと、またお母さんがそのことで傷つくことがないようにだったのです。

でも、そろそろもういいかという気になってきました。ついに僕もそのかたくなな心が解け始めたのは、やはりこうしてみんなと話ができるようになったからだと思います。あのときのテレビ番組は、あのあと立ち消えになってしまったので、またぜひNHKはやってくれればいいと思うのですが、いままたやったら大騒ぎになると思うけれど、僕たちはいま彼が言ってくれたみたいに騒がれたら、その次の手を持っているので、もう大丈夫だと思います。

あのときは、僕らは言われたら何も返す言葉がなかったけれど、いまならいろんなかたちで言い返すことが出来ますし、私たちのこの方法を一方的にあのときのように、攻撃することはもうできないと思うので、そろそろ機は熟しているかなと思っています。

先生もいま力強く声が出たのは、そうだということが現れるからですが、僕も今日は司会に徹するといったので、そろそろここでやめたいと思いますが、H.S.君のところ、またお母さんで一度話をしてもらっていいですか。K.K.君はさきほど話をしていただいたので、いったん、大変申し訳ないけど、H.S.君に先に言っていただいて、H.S.君のお母さんに、H.S.君の今年の思いなどを言ってもらえたらと思いますので、よろしくお願いします。

H.S.君:
はい、わかりました。今度は指筆談で話をします。少しみんな疲れてきているので、どうぞくつろいでください。少し速く話をします。(お母さん:ついていけるかな)では、僕の新年の抱負を言います。

今年は、僕はこの方法をたくさんの人に伝えようと思って、がんばってきたけれども、なかなか育つことがむずかしいことがわかったので、今年は僕たちの活動にいっしょに活動をしてくださる方といっしょにこの方法を練習して育ってもらいたいと思っています。僕たちの身近な人から育てていかなければ、いつまでたってもお母さんを頼らなければならなくなり、お母さんがいまおじいちゃんやおばあちゃんやおじいちゃんの・・・いまおじいちゃんを二回言いましたが、間違いではなく、お母さんのおじいちゃんとお父さんのおじいちゃんのことです。それで三人の親の介護があって、僕に関わる時間が少なくなってきてしまい、僕は家にいても、いつも話ができない人になりつつあります。

前はいつでも話を聞いてもらっていたのに、なかなかそういう生活ができなくなってきています。それでヘルパーさんと過ごす時間が長いので、今までは気に入ったヘルパーさんとは練習をしましたが、これからは、誰とでも練習をしなければ僕は話をできない時間を長く過ごさなければならなくなると思っています。だから僕の今年の抱負は、僕の身近な人からどんどん練習してたくさんの人にこの方法を使って話を聞いてもらえるようにしたいということです。そのためには、僕と練習をしてもらわなければ、僕の通訳にはなれません。そのために僕と過ごすことが出来る人ではないと育てることができないということがわかりました。

それで、僕は、僕の活動や僕の生活を支援してくださる方と練習をすることに決めました。だから僕と練習したい人はどうぞ僕の家にまで来ていいですよ。そのかわり僕といっしょに生活をしたり僕の活動を支援してもらわないと僕は困ります。だからそういう人だけが、僕の家に来てどうぞ練習をしてください。

僕は、今日はこんなにたくさんの人がいるので、スカウトして帰りたいと思います。(笑)できれば若い人がいいのですが、(笑)それはお任せします。どうしてかというと、若い人の方が僕の気持ちをわかって、僕の歳に近い言い方を、ちゃんとしてくれるので、例えば、スギちゃんの「だぜ」をうまく言えるのは、お母さんではなく、若いお母さんだったりするので、そういう意味で、僕の歳に近い人が、この方法を僕と練習してくれたらうれしいです。僕だってこういう言葉を使って、友達とタメ口で話をしたいから、僕の気持ちがわかる若い男でも、女の人でもいいので、できれば女の人もいいので、(笑)どきどきしちゃうと、手が震えるから、男の人がいいかもしれませんが、女の人でもいいので、僕と話をしたいという人は、僕の家に来たり、僕の活動を支援してください。どうぞよろしくお願いします。

それから今日は、いろいろな話を聞くことができて、昔を思い出すことができました。僕の周りにもたくさんの人が支援しに来てくれて、その人がいるおかげで僕はこうやって今日もきんこんの会に来ることができています。お母さんひとりではもう僕の生活を支えきれなくなってきているので、早く自立して、お母さんを楽にしてあげたいとも思っています。でも、なかなか僕の気持ちを言葉で聞き取ってくれる人がいないと、僕は体の調子がすぐに悪くなってしまうために、やっぱり僕のことをわかってくれる人とすごさなければいけないと最近は思うようになりました。

昔は、誰とでもこの方法ができると意気込んで、がんばって講座をやったり、新宿区のヘルパー研修会で、20人の人と、初めてのヘルパーさんと練習をして、できるようになったから、自信があって、たくさんの人を育てる覚悟で、毎日文を考えてがんばっていました。ところがそうやって育てても僕のところに来てくれた人はひとりだけです。他の19人は、僕とは関係ないところで、この方法ができるようになったか、できるようにならないのか、それすらもわからずに過ごすことになっています。僕の知らないところで、その人たちがうまく方法を使うことができるようになっていれば、僕はそれで十分ですが、もし僕がいないところで、その人たちが逆に、この方法は信じられないということを伝える側にまわったとしたら、僕はとても悲しい思いをしなければなりません。

だから僕の手の届く範囲で、この方法を練習してもらいたいと思うようになりました。そのために、このきんこんの会に来て、みんなに教えたいという気持ちは、まだ持っていますが、なかなかそういう事情で、教えることがむずかしくなってきたので、みなさんに先に謝っておきます。今日は僕を取り囲まないでください。(笑)(もういいですか)はい、もういいですよ。T.I.君お願いします。ありがとうございました。(拍手)

T.I.君:
わかりました。少しむずかしい話が入っていて、むずかしいというのは、理解できないという意味ではもちろんなくて、なかなかむずかしいことがあるようで、苦労してるなというのがわかりましたが、ヘルパー講習の話は、一度見てみたいものだと思っていたのですが、どっかに映像はありますよね。

柴田先生:
で、ここだけ言わせて。いい映像なんで、みんなに見てもらいたいんですよ。

T.I.君:
そうですか。とてもわかりやすいという言い方をしているのだと思うのですが、あるのなら一度見てみたいですが。

H.S.君:
映像はありますが、個人情報なのでお断りします。(笑)僕の映像を見たからといって、できるものではないので、ひとりひとりみんなやり方が違うので、それぞれの人と練習して初めてできるようになるものだから、ここに来て練習したからといって、すぐにできるようになるものではないということだけ伝えておきます。それぞれの人のやり方と、その人とその人との相性があって、信じる気持ちがあって、愛がないとできないので、半信半疑ではマルとバツではできても、会話ができるまでにはいきません。

だからこの方法をやりたいと思ってくださる方がいたら、ぜひ誰と話をしたいかを決めて、その方と練習をしなければ、できるようにはならないと思うので、簡単なことではないということだけお伝えしておきます。なぜならばこの方法をやりはじめたヘルパーさんが、だんだんやらなくなっていくという現実もあります。それはどうしてかというと、信じられなくなるからです。はじめに動きがわかってできたのに、だんだん信じられなくなっていくヘルパーさんもいるのですよ、現実には。それで前は何でも聞いてくれたのに、だんだん聞かないでもできるようになってくると、全く聞かない生活になってしまいます。

そういうヘルパーさんは悪いヘルパーではありません。・・・決して悪いヘルパーさんではありませんといいたかった。でも言葉で会話をしなくても、日常生活が回っていくので、いちいちやらなくても生活ができるから、その方が早いんです。自分たちに自信がないと、やらなくなってしまいます。それは僕たちに言葉があるということを理解していても、日常的に使うということに結びつかないということです。僕たちにとっては日常的にこの方法を使いこなせて初めて、日常生活が自分の意思通りにできたり、気持ちを伝えて、人間らしく生きることができるようになります。

だから、誰とでもできるようになるということだけわかってほしいと思っています。だから映像を見て、すぐにできるとか、信じるとか、信じられないとか、そういう判断で僕たちと直接関わらないで、判断して悪い方向に行ってしまう人が増えないようにぜひしてほしいと思っています。今日たくさんの人がカメラやビデオや録音をして帰るようですが、その使い方は、僕たちにとって悪い方向にならないように使って欲しいと心から願うばかりです。この方法を直に見た人でもまだ信じられない人がたくさんいる、毎日接している人のなかでもそういう人がいるのに、この映像だけを見せられて、信じられる人の方が少ないということを自覚して、慎重に見せるなりしてほしいと思います。

でもみんなは映像に出たいと言っているから、水をさすわけではありませんが、これは個人情報なので、ここでとった映像や録音はその人に確認してから、他の人に見せるのが、今の世の中の常識なので、そこをぜひ常識のある行動をとっていただけたらありがたいと心から願っています。僕はあまりにも慎重すぎるかもしれませんが、僕はいままでこの方法を18歳から、いま22歳ですが、4年間やってきて、たくさんのヘルパーさんとできるようになってきましたが、その関わりのなかで、やはりまだまだ慎重にやらなければいけないということに、気がつき始めています。その思いをみんなにも知ってほしいと思ってあえて、苦言を・・・呈し(お母さん、苦笑)・・・苦言を呈します。 お母さん、あってますよ。(笑)

T.I.君:
だいたい意見はよくわかったと思うので、このことはまたあらためてゆっくり話すべき内容だと思うので、いったんここでこの話題は切って、必ずちゃんとやりましょう。それにまだまったく話してない人がいるので、そろそろ時間がなくなってきている気がするので、いまD.T.さんからリクエストがあったし、少し先を急ぎたいと思うので、ここから、D.T.さんから順番にこちらに向かっていきますので、よろしくお願いします。D.T.さん、通訳をお願いします。

D.T.さん:
僕の通訳については、あってるかどうかが微妙に違うので、面白いので、そのへんもよく見てほしいですが、僕が眉毛をあげているときは全部合っているので大丈夫ですが、今違ったので、僕が眉毛をあげているときは合っているので大丈夫です。あっていると眉毛があがりますが、違うと眉毛が上がりませんので、そこを見ていただければわかると思いますが、その話をしていると時間がないので、僕が今日、あえて当てていただきたいと思ったのは、せっかく遠くから来ている人がいるので、先に遠くからということを言いたかっただけです。以上です。(笑)

T.I.君:
失礼しました。それではやはり新潟の彼の話を一回聞いて、それから東松山の彼の話を聞いて、そしたら、あと、町田の人たちですね。

M.W.君:
みなさんこんにちは。僕は遠くからきたM.W.ですが、新潟はそんなに遠くはないというのが母のセリフですが、僕も母の運転を見ているとやはり遠いなと思います。新潟は真っ白な銀世界でしたが、こちらは真っ青な青空で、本当に日本は広いなと思います。僕の家のまわりはもう雪だらけですが、こちらにはまったく雪もなく、不思議でしかたありませんが、僕にとっては雪景色が消えるあたりから、ああ雪国を遠ざかっていくなあという感じだったので、本当にはるばる来たなという感じです。今日もまた気を使っていただいてありがとうございました。T・Dさんがわざわざ言ってくださったのですが、僕は今日もみなさんの話を聞いているだけで、とても満足していましたが、今回あえて言いたいことがあるとするならば、僕にとってこの会に出会ったのも、この方法に出会ったのも、去年の話なので、今年こそ新しい一歩を踏み出す1年だと思っているということです。

僕の場合は、先生やきんこんの会に出会うには、あいだにひとり大切な先生がいて、その先生はときどき名前が出てくる山元加津子先生ですが、石川県の養護学校の先生で、とても優れた実践をされているのですが、僕たちにはみんな気持ちがあることをわかってもらいたくて、一生懸命あちこちで話をしてきた先生と柴田先生が出あったので、今大きなつながりができているので、そちらのつながりの方はもう少し発展していくと思います。なぜならそちらの方は、山元先生が常に築いてきた人間関係のところがあるので、そちらの人間関係がつながっているところでは、この話は誰も疑わない話として伝わっているので、そちらに頼れという意味ではなくて、そちらの方のつながりはけっこういい感じで伝わっているということです。その流れも日本の中では小さなものですから、別に世の中がわかったという意味ではなく、少しずついろいろな人間関係を通じて、広がっているのだということの証が僕ということです。

僕はその先生からの情報でないとここにはいませんから、その先生の流れでだんだんと広がっているものもたくさんあると思います。僕たちの心の中に本当の気持ちがあるということをなかなか世の中は認めてくれませんが、もうすぐそこまでそれは来ていると思います。さきほどの方法の議論はまだまだ大変だと思います。僕もさきほどのH.Sさんの意見はよくわかる気がします。方法の話になると大変なことになりそうなので、さっき方法の話ではなく、(話の内容である)通信が意味があるといったのは、方法より先に私たちの気持ちを伝えるということだったので、まずは気持ちを伝えるところで、伝わるものがあったらいいと思っています。幸い山元先生の方は、僕たちの言葉の内容だけを伝えているので、方法は、あとは柴田先生に聞いてくださいと開き直っているので、(笑)?ています。その方が内容だけが伝わっていくので、かなり内容の方は広く伝わっていると思います。

あとは方法の問題ですが、方法については、ここでは今日は、柴田先生とあとふたりという感じでしたが、目の前の方を入れて三人ということですが、けっこう新しい人が出ているのも、午前中に見させていただきましたし、少しずつこんな速いやり方のところではなくて、ゆっくりと一文字ずつわかっていくところから、みなさんに見ていただければ、じつはそんなに難しくないのかもしれません。ヘルパーさんたちのように日常生活のことと絡んでくるので、たしかにいろいろと難しい問題があるのだとは思いますが、なんとか越えていければいいですね。でも慎重にという意見はよくわかりましたが、うちの母は慎重ではないので、あちこちでいろいろ言ってどんなふうになっているのかとても心配です。(笑)いまのところまだ大丈夫ですが、そのうち誰かが言ってくるのかなあと少し期待を込めて聴いていました。少しぐらい言われて初めて何か波紋を呼んだということになるので、何も言われないのは案外無視されているのかもしれないので、少しぐらいいろいろ言われた方が、手応えがあっていいなと思っています。

遠くから来たわりにはたいしたことを言っていない気がするんですが、(笑)僕にとってはこうやってみなさんに会えていること自体が夢のようのことなのです。もうほとんど諦めかけていたのが僕の人生と言うと、母が悲しみますが、母はがんばってあちこちに僕を連れて行ってくれましたが、さすがに僕の言葉を聞き取るやり方には出会えないだろうと思っていたところで、突然山元加津子先生が、今度きんこんの会にいってらっしゃいと強く言ってくれたので、それで言葉を読み取ってもらう方法に出会えたので、やはりまだまだ世の中はあきらめてはいけないと思いました。

さきほどから誤解される人たちの辛さは、よく話されていましたが、理解されない人間の辛さはもう少し意味合いが違っていて、本当にそこにあると言ってしまいましたが、そこにいるのはただの物のように通り過ぎていく人が多いので、そのさみしさは苦しかったです。どちらがどうということを言っているのではなくて、誤解と無理解の違いの恐ろしさを言ってみたかっただけですが、まるであの新潟の雪の中にひとりぽつんと置かれているような気になるようなことさえあります。僕たちの周りをまるで僕たちが何も思わないと思って通り過ぎていくのはとても辛いことでした。でもこうやって少なくとも仲間で出会えれば、まるで当たり前のような話もできるし、お互いをお互いで全く仲間として認め合っているので、このような体験ができれば、僕はこの世の中で生きていくことの意味を満喫することができるので、本当にうれしいです。

母が頑張ってくれるので、僕は来ることができますが、新潟から来れるのは、ほとんどまれな話ですし、日本中にまだ何も言えずに苦しんでいる仲間がいると思うと、本当に何らかの形で届けていただかなくては困るので、方法の話を先行させずに僕たちの本当の内容をきちんと伝えていくことで、なんとか世の中を変えていければいいなというのが僕の思いです。

先生ともたった半年の間に何度も会うことが出来たので、だんだんと世の中が変わっていく姿を感じさせていただいていますが、今日も僕と先生との写真が載った本を一冊母が持っているので、ぜひその紹介もさせていただきたいですが、山元加津子先生が同僚の方が倒れた内容は脳幹出血ですが、倒れた方が一旦は植物状態になったところから回復できたことをぜひ本にしたいと言って、その本の中に柴田先生の文章と僕の母のことと、僕のことを山元先生が書いた文章を載せてくれたので、僕たちのことも含めてもっと幅広い意識障害の人の話の中で僕たちのことも理解が広がっていけばいいなと思っています。

今日の取材の方の中にたぶん意識障害ということに詳しい方もいらっしゃると思うので、意識障害の方と僕たちの共通点と違いを一度はっきりさせながら、同じ問題だということをはっきりと世の中に認識してもらえれば、もう少し伝わるのではないかと思います。
意識障害の人たちは、昔は言葉を持っていた人たちなので、少しぐらい言葉が分かっても疑われないのですが、僕たちは、僕たちが言葉をしゃべると、いったいいつそれを覚えたのかということろから説明しなくてはならなくて、まるで僕たちがまるで学ばないでここまで来たかのように言われてしまうのですが、僕たちは言葉をしゃべれない人間だからこそ、強い思いで文字を覚えてきたし、そういうことも含めて中途障害の人たちとは違う人たちの強い学びへの思いも含めて語っていきたいと思っています。少し長くなりましたが、当てさせていただいてというのは違いますね。当てていただいてありがとうございました。
今のは、僕の言葉のままでしたから、ありがとうございました。それではこれで僕はもう十分しゃべったので、あとは話してない人にお願いします。(拍手)

T.I.君:
それでは、F.C.さんはまだですか。(いまね、書いてます。)じゃ、書いたのを後で読んでもらいましょう。後でもいいですか。(いま読みます。)

F.C.さん:
人間は生きていくなかで、たくさんの人に出会います。たくさんの人のなかには、自分たちのことを考えてくれる人もいますが、言い方が悪いけど、まったく考えてくれない人もいます。だからといって、その人たち、というのは考えてくれない人のことですが、その人たちのことを非難することはできません。なぜならその人たちは、ただ私たちのことを知らないからだと思うからです。自分の周りにこういうふうに障害を持った人がいないという人もいて、その人たちはどんなふうに私たちが生活をして、どんなふうに話をしているかということについて考えたことがないからだと思うのです。

だから、私たちは今から、というか先輩方は、もう前からやっていらっしゃると思うのですが、私はこれから、私のことを多くの人に知ってもらえるようにしたいと思っています。ただ、どんな方法がいいのか、どうすればいいのかは、まだよくわかりませんが、いい方法を自分でも探していくつもりです。いい方法が見つかったら、お母さんにも力になってもらって、いい方法を続けていけるようにしたいと思っています。いい方法というのは、話をする方法のことです。話をする方法はいくつかあるので、その中から自分にあう方法を見つけていきたいというふうに考えています。

学校では、いまは、まだ話はしていませんが、私のことをとても考えてくれていて、いろいろと聞いてくれるので、一生懸命答えています。答えがあっているときもあるし、間違っているときもありますが、それはいいことだと思います。いいというか、それはいまは仕方がないことだと思います。まずはそうやって聞いてもらえるということが、大事なことだと思うからです。だから私も一生懸命答えていこうと思っています。私たちが伝えようとしなければ、何も伝わらないと思うからです。私たちががんばることで、きっと何かいい変化が起きると思っています。そう信じて行動していこうと思っています。私がいま考えているのは、こんなことです。いまはこんなことを考えてがんばっていこうと思っています。以上です。(拍手)

T.I.君:
ありがとうございました。僕が説明したほうがいいので、僕が説明しますが、今のは筆談ですから、皆さん驚かれるかもしれませんが、いまのは筆談です。でも、よく聞いていただくと分かると思いますが、柴田先生と話し方がそっくりなのは、なんか同じように感じ取っているからですが、柴田先生はあかさたなですが、いまのは手で一生懸命字を書くのを読み取っているのですが、ただそれが速くて小さいだけだと思いますが、その話はいったん区切って、大急ぎで忘れていました。東松山のT.K.君に当てると言いながら、当てていなかったのです。T.K.君お願いします。

T.K.君:
僕も待っていましたが、べつに僕もしゃべらなくてもいいぐらい僕もみなさんの話をきいて、とても満足していましたが、今年の僕の大きな目標は、学校でみなさんが、なかなか叶えられなかった夢を叶えることです。それは普通学級で勉強をいっしょにするということですが、少しずつかない始めたとこのあいだも言いましたが、だんだん実現しそうな勢いになってきました。僕はなんとか4月から普通学級で学べそうな気がするので、とても楽しみです。本当に先輩たちには申し訳ないのですが、僕たちは先輩たちのおかげでそういう勉強ができるので、ぜひ先輩たちが頑張ってくれた成果を思う存分に享受させていただきたいと思うし、僕もがんばって、もっと後輩の人たちが勉強しやすかったりするような環境づくりをしていきたいと思います。

今日は本当にいろいろな人たちが来てくださっているので、僕も目を丸くしてみていましたが、僕たちの内容についてはよく伝わっているというのがわかったのは、さきほど新潟のM.W.君の話でわかったのですが、君というと失礼なのかもしれませんが、僕たちにとってはM.W.君というのがぴったりくるような気がしたので、M.W.君の話を聞いて、内容を一生懸命伝えようとしてくださる方のおかげで、内容についてすごく深く共感してくれる人がおいでになっているということがよくわかりました。

方法についての議論が、本当に難しいのはよくわかっています。この方法について、いきなりわかるのも難しいと思うし、僕は丁寧に先生から説明を受けて、ようやく先生の家まで押しかけて、わかってもらったので、お母さんもよくやり方の内容がわかりますが、いきなりこの内容をわかるのはたぶん無理ですが、僕もさきほどの筆談の話を聞きながら、やはりでも究極のスピードはここまで来るのだなということがわかりましたが、いずれにしても僕たちにとっては、こうやって一歩ずつ世の中が変わっていて、僕にとっては大きな進歩の一年になることは間違いありません。みなさんのおかげで、僕は今年からたくさんの勉強をして、いつかみなさんが叶えられなかった夢である大学にまで行けたらと思っています。たしかこのあいだ先生が、僕たちの仲間の中で、今年の4月に大学に行く人がいると言ったのですが、それはどうなったでしょうか。

柴田先生:
言ったほうがいいのかな。幸い合格したので、4月から筆談やっている人が大学に入学することが決まっています。たまたまなんですけど、その人が、内閣府が募集した今年の障害者週間のポスターの作文の募集で高3のその人がそこでも最優秀賞を取っているので、内閣府の障害者週間を調べると、M.S.さんが夏の段階で大学に行きたいと作文を書いているのが最優秀賞を、いまのところまだ公開されてないんですけど、推薦入試で合格が決まっているので、4月から大学に入ると思いますが、まったくみなさんと同じ状況のコミュニケーション手段で大学に入る最初の人になるんですね。(拍手)

T.K.君:
そうですか。その人に続くべく僕もがんばりたいと思います。まだまだ関東地方ではそういう話は聞こえてこないで、なぜ九州なのかよくわからないですが、その人のあとに続くように僕も頑張りたいと思います。僕のお母さんもそういう発想をするお母さんなので、僕も目指せ大学で頑張りたいと思います。別に大学だけに価値があるとは思っていないのですが、大学に行くことで僕たちも当たり前の社会の中の一員だということが証明できるのであるならば、大学に行きたいと思います。

先輩たちは、行きたくても行けなかったとするならば、先輩たちの分までがんばって、僕たちの後輩はそういう苦労をしないでも生きられる世の中にしていきたいと思います。それが僕の先輩たちからたくさん教わったものとしての役割なんだと思って、自分だけの勉強ではなくて、先輩たちの分まで勉強して、先輩たちが切り開いた道をもっと確かなものにしていきたいと思います。

今度出版された本の題名は「僕のうしろに道はできる」という題名でしたが、そのように先輩たちのあとに道ができているので、その道を誰かが歩かないとまた、もとの道ではない野原に戻ってしまうので、ちゃんと僕たちは僕たちの時代を生きるものとして、先輩たちが踏み固めた道を、道としてきちんと、もっときれいな道として、歩きやすい道として生きていかなくてはと思いました。少し偉そうなことを言って申し訳ないのですが、まだ小学生ですので、みなさんの生きた時代とは少しずれているので、そのずれているところをきちんと活用させていただいて、いい人生にしたいと思います。以上です。

あ、実はひとつ報告を僕からするのは変ですが、当事者としては一番僕がいいと思うので、報告させていただきますが、このあいだ一緒に来た上尾市のほりさんたちのグループが鴻巣市というところで、新しくこういう会をやることになりましたが、みなさんには特に許可も取らなかったですが、鴻巣きんこんの会ということで、人を募集しています。

きんこんの会はちゃんと地方に広がりそうなので、きんこんの会は別に特許みたいなやつではないと思うので、使ってもいいのでしょうが、本当はそういうことを事前に言えるようなシステムだったらよかったのですが、そういう時間はなかったので、それでいいと思うのですが、僕がやったわけではないですが、当事者として話したほうがいいと思うので、埼玉県の北のはずれのほうなので、随分ここからは遠いのですが、内からは車で2、30分で行けるところですし、実は柴田先生も電車で、15分ぐらいで行ける場所なので、今度の土曜日ですが、鴻巣市きんこんの会をやって、とても小さな会だとは思うのですが、そこでまたゆっくりとこういう話し合いをして、少しずつでも広げていけたらと思います。

鴻巣きんこんの会という名前で検索をすると、たぶんホームページにも出てると思うし、柴田先生はフェイスブックには載せていると思いましたので、そこからたどれば情報はわかると思いますが、鴻巣市の駅のすぐそばでやるそうです。僕たちは近くでやられるということがうれしいのではなくて、広がっていくことがうれしくて、僕は遠くてもお母さんがパワフルなので、やってこれるので、距離はいとわないのですが、少しずつでも広がることが感じられて僕はとてもうれしいです。以上です。

先生は、今日は目の方をいっさい見ずに通訳していたので、じつは目は使っていないのがよくわかりましたが、今まで全部目を見ていたのに今日は少し先生は疲れていたのか、(笑)目をいっさい見ずにずっとやっているので、手だけでわかるのだなと初めて知りましたが、手だけで全部伝わりましたが、本当に不思議でしたが、僕はさっきのスピードがあるのならこれは先生だけじゃないことがよくわかりました。きっとあの方は僕の手をとってもあのスピードで通訳出来るのだと思うので、まだいろいろあって今はひとりだったのかもしれませんが、あの先生が来てくだされば先生とまったく同じスピードで通訳出来る人がもうひとりということになりますし、今の先生の顔を見ているとまだいるみたいですね。(笑)

じつはいるんでしょうが、今の先生の表情を見ていると、筆談をする人のなかにそういう人がいるようですね。とてもやり方は力強かったです。僕は先生だけではない人がこのスピードで、通訳できるのなら本当に会話が可能な世の中になるのだとわかったのでうれしいです。筆談とこのやり方の違いはよくわかりませんが、同じスピードでやれているということがよくわかって、とてもうれしかったです。驚いたのはきっと僕だけではないと思いますが、僕は驚きよりも喜びの方が大きかったです。以上です。(拍手)

T.I.君:
ありがとうございます。さすがに小学生に負けてはいけないというつまらないことを思ってしまいましたが、(笑)小学生なのにすごいですね。

ところで、本当に時間がすぎてしまっているので、申し訳ないのですが、ここでいったん区切って、というのは、あと2人に話してもらって、いったん区切って、あと会話を少ししたいのですが、3人ということをいま気づきました。Y.I.さん、H.S.さん、D.T.さんという順番でしゃべって、休憩をして、そこでみなさんでいろいろ方法のことなど交流していただけたらと思うのですが、よろしいでしょうか。
あと最後の締めのところで、K.K君に今書いているのを読んでいただいてよろしいでしょうか。お母さんの判断では、何番目がいいと思いますか。

KK君のお母さん:
ぜんぜん違う話をしているので、一番最後に・・・

T.I.君:
わかりました。それでは、Y.I.さん、H.S.さん、D.T.さん、K.K.さんでお願いして、いったん休憩に入りたいと思います。

Y.I.さん:
それでは、私から意見ですが、私ももう時間がないので別に意見は言わなくていいぐらいです。私たちの会は、ひとりの意見がじつはみんなの意見なので、別に発言の機会がなくても、私は、ぜんぜん安心しているし、私はいつもあっさりと意見を言う方の人間なので、ただひとつ、私あえて言わせてもらうわということがあります。今日の通信にたぶん先生書いてますよね。きんこんの会の名づけ親は私よということです。(笑)きんこんの会を名づけたY.I.ということを覚えておいてください。私の思いは、きんこんの鐘の響きですが、鐘の響きというのは他にあっていいと思うのですが、例えばからんころんとか、いろいろあっていいと思うのですが、きんこんというのは強く向こうに向かって貫いていくという意味合いなので、きんこんの響きには一番強い言葉を当てました。だからきんこんの会はぐんぐんと前に向かって進んでいけばいいので、鴻巣まで届いたのはとても嬉しいなと思います。

それだけ言えれば私は十分ですが、もうひとつだけ言えば、私は今度、S.K.君の先輩になると思うのですが、私の施設は少しずつできる人が増えてきたので、S.K.君は筆談ができないのが少し残念ですが、S.K.君は目が不自由なので、ひらがなを知らないと思いますが、あかさたなができるような人ができれば、S.K.君も大丈夫ですので、これは私が一生懸命切り開いたことですので、S.K.君も安心して来てください。うちの施設には筆談ができる人が増えてきましたからS.K.君もあかさたなが出来るような人がふえれば、世界が広がるということなので、今度は私の作った道をS.K.君が広げてくれればいいと思うので、よろしくお願いします。以上です。

H.S.さんの通訳はぜひあの山梨の先生お願いします。ひとりだけではないわよというのを見せてあげてほしいのと、昔一度私たちの会に来てくださって、柴田先生はそのとき、ぜんぜん遅かったので、たぶんあれを見てから、スピードを上げたと思うので、(笑)きっとあの瞬間はこの人の方が早かったというのを私が言っておこうと思います。(笑)(拍手)

H.S.さん:
わたしはH.S.といいます。私の言いたいことは、いまみなさんが言ってくれたことですので、もうあまり言うことがないのですが、言っておくとすれば、いろいろな人がいろいろな考えを持って、いろいろな方法で話をしていくということが大事だと思います。

ひとつの方法ではなくて、いろいろな方法があるということが、とても大事だと思います。ひとつの方法になってしまうと、それができるか、できないかということになってしまうので、いろいろな方法で話ができるということが大事だと思います。自分にあう方法を選べるような世の中になってくれたらいいなと思っています。言いたいことは以上ですが、とても速く言えていいので、この方法もみんなに広げていってほしいと思いました。以上です。(拍手)

T.I.君:
筆談で誰でもできることがどうも証明されて、どうも先生よりも先に速くやってた人がいたということなので、本当はそういうこともちゃんと言っていかなくてはいけないのでしょうが、なかなかいろいろ事情もあるかもしれないので、どこまでそういうことを言っているのかわからないけれど、じつはこういう人がいままで、僕たちが黙っていただけではなくて、先生方も黙っていたということですね。こういうことをやれている人がいたのに、こういう会がないと、こういう人たちの存在までわからなくなっていたというのは、いろいろな意味でもったいなかったなと思いますが、こういう会のおかげで、先生の存在もはっきりと世の中にでたらまずいのかどうかは知らないですが、(笑)先生の存在もよくわかってよかったですが、方法についてはたぶん筆談を速くやっているだけなので、K.K.君のお母さんもそうとう速いですが、筆談をがんばって速くするだけのことだと思いますが、この説明はまたあとでゆっくりあの先生にみなさんで聞いてください。あとD.T.さんからお願いします。さっきこちらの方を先にと言っていただいただけで、まだ意見は言っていただいていないと思うので、よろしくお願いします。

D.T.君:
僕もあのやり方をやりたい。というのは冗談。このやり方でやりますが、それほど言いたいことはないのですが、唯一の言いたいことは、今日もとてもいい会になってよかったということです。僕たちにとっては、これだけの人に気持ちを伝えられたということだけでも大きな成果ですし、方法についても少しずつやれる人が増えている気がするのでよかったです。今日のH.S.君の意見は、いつも忘れてはいけない話なので、やはり誰かがその都度言っていかなくてはいけないけれど、それと並行して、広がっていることも事実なので、そのことを大事にしていきたいと思います。

町田の青年学級で、今年の5月12日に「若葉とそよ風のハーモニーコンサート」というのをやります。そのコンサートでは前々回はこのやり方のことをミュージカルにして劇で上演しましたが、まだ誰もその意味がわからなかったけれど、僕が主役で僕の言葉を仲間があかさたなで聞きとるというストーリーがあったのですが、誰も意味がわからなかったですが、ようやくその意味が伝わるときが来たので、今年もそのことを必ずステージでは何かの形で表現することになると思うし、ついでに紹介すると、今年のテーマは・・・まず震災の話ですが、震災についてはふたつあって、ひとつは震災そのもののことと、ひとつは原発のことです。

どちらも歌がすでにできていますから、必ずやります。それから出生前診断のことも話し合いが進んでいるので必ずやります。その3つを中心的なテーマに据えて、それに自分たちの自立の問題を交えて、たぶんことしのコンサートはやられるので、よかったらぜひきてください。来てくださいというか、ステージにのりたい人は、いっしょにのってください。そういう活動ですので、そこでは、僕たちはずっと同じ仲間として認められてきましたが、さすがにこのやり方が見つかるまでは、僕たちの言葉をステージで表現することはできませんでしたが、ここに来ているH.S.さんの詩を初めて歌で表現してから、僕たちの言葉をステージ上で発表するのが当たり前になっています。まだあまりそのことが強調されてはいませんが、僕たちはすでに3回そのことをやることに、3回目が今年になるので3回やることになるので、ぜひそのことも広めてもらいたいと思っています。

けっこうちゃんとしたコンサートなのですが、800人入るホールが、なかなかいっぱいにならなくて、スタッフがいつも苦労していますが、800人入るホールに、これだけ来てくれれば、すごく大勢になるので、ぜひ来て欲しいと思います。柴田さんが必ずホームページとかブログに載せると思うので、ぜひ来て欲しいと思います。参加したい方はぜひ参加してください。歌を歌ったり、踊ったり、劇に出たりするのは、恥ずかしいと大変ですが、柴田さんもここではあまり目立たないけど、ギターを弾いて、歌を歌って、いっしょに踊ってますので、いっしょに参加したい人は参加してください。

あえて言ったのは、そうやってこちらでも広げていることがあるのと、その「若そよ」は今の流れと連動するとひとつの流れとつながるかもしれないので、ぜひそこまでつなげたいと思います。「若そよ」はもう30年近くやっていますが、僕たちの言葉を活動のなかで取り入れられて、ようやく3回目なので、これをこのきんこんの会の活動といっしょに僕は広げていきたいと思っていますし、できればきんこんの会のこともそこで紹介したいから、今日の通信はとてもありがたいです。この通信を会場に置ければと思うので、2号、3号とできれば置けるようにしたいと思います。以上で僕の話は終わります。

最初話が通じないのは、僕の頭の中に別の会話の装置が働くからで、僕の会話は目でのシンボルの会話ですが、そのときに頭で使うところと、これで使うところは、乱暴に言えば、目を使うか、耳を使うかでまったく違う回路なので、なかなかその回路が動き出さないと、ぜんぜん伝わらなくて、最初はほとんどあっていなかったのですが、そういうとまずいので、2、3回目をあげてしまったのが、かえってまずかったです。(笑)違うことは違うと言わないと大変になるので、あそこではお互いが動き始めていないので、まったく伝わらなかったけれど、途中からまったく動きを見ないでも合うようになったので、よかったですが、そういうのもこのやりとりの面白いところですが、時間がもったいないので、僕はこれで終わります。(拍手)

T.I.君:
それでは最後に、K.K.君から締めていただいたら、いったん休憩というか、そのあとは大勢なので、流れ解散的になると思うので、きんこんの会のメインの時間はこれで終わりとさせていただいて、あとはいろいろお話をしていただければと思います。それではK.K.君、最後お願いします。

K.K.君:
はい、最後に見学にいらしている方に、いかがだったでしょうか。今日の感想をぜひ遠慮せず書いてくださいね。先生それは僕らにも見させてくださいね。みなさんが何を勉強したくていらしているのか僕らも知りたいからです。僕らは、僕らの思いを知ってもらいたいけれど、みなさんが何を望んでいるのかも知りたいと思っています。ここでは信じられないことがごく普通に話されていて、ここでは泣くほど感心して帰るでしょうが、家に帰ったとたんに、そんなばかな。あの人たちにそんなことができるわけないでしょって思ってしまうことでしょう。僕はあんまりゆっくりみなさんに僕の経験したことをお話しするには、たくさんの時間が必要です。それだけいろんな経験をしてきました。ここでは言えないようなことがあります。

でも僕は苦しくても前を向いてきました。恥ずかしいことは何もしていません。人を恨んだり、憎んだりすることも経験しましたが、それは僕がおとなになるためには、必要だったし、いまは乗り越えることができ、そのとき関わった人、すべての人に堂々と僕を見せることができるようになりました。何かのおりに少しずつ僕が話をしていきたいと思います。それはきんこんの場だったり、通信だったりすると思います。僕は一生をかけ、僕の経験を発表して行くと思います。それが僕の生きる意味だからです。(拍手)

T.I.君:
さすがK.K.君は一番僕らの世代のなかでは真面目な人なので、(笑)これが一番しっかりしていてよかったと思います。さすがK.K.君だと思いました。僕やJ.O.君やA.K.君はどうしてもあっけらかんの方なので、いまのような言葉で最後が締められないので、とてもいい締めをありがとうございました。

それではここでいったんこの会のメインの時間は終わらせていただいて、方法のことなどいろいろ議論していただいたり、お互いに交流していただいたり、いまK.K.君が言った感想を書く紙がないかもしれないので、それぞれなんらかの形で感想を送っていただければと思うし、もしかしたら柴田先生にメールがわかる人は、メールかなにかで送っていただければありがたいです。僕もどういう思いで来ていただけたかというのを聞きたいし、そのなかで僕らが学ぶこともありそうなので、そういうことを聞かせていただけたらありがたいので、誰にでもいいので、何らかの形で感想をいただけたらうれしいです。柴田先生のメールで十分だと思うのですが、柴田先生はメールで返事が遅いそうなので、(笑)覚悟して出してください。(笑)それではここで区切りたいと思います。

今日は本当に大勢の方に来ていただいて、僕たちはまるで夢を見ているような気がします。いつも家に帰ると、まるで僕らのことを何もわかっていないと思う人たちに囲まれて社会を生きているのに、今日は僕たちの話を一生懸命聞いてくださる人がこんなにいるなんて、まるで信じられないような気がしますが、ともかくこれが新しい現実として僕たちはしっかりとそれを新しい力にして生きて行きたいと思うので、今日は本当にありがとうございました。司会に徹すると言いながら、一番しゃべったのは僕でした。少し反省して帰りたいと思います。それではこれで締めたいと思います。ありがとうございます。(拍手)