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歴史のプロセスの中にいる

東京大学循環器内科 助教 稲葉俊郎

僕らは、色んな物事をとりあえず暫定的に定義する。
生きてるとはこういうもの、病気とはこういうもの、いのちとはこういうもの・・・。あらゆるものを決めてきた。

ある概念を狭く定義してしまうと、その定義の枠内でなんとか説明しないといけなくなる。無理やり理屈をつけて合理化してみたり、都合が悪いものは例外だと切り捨ててしまったりする。自分たちが作った狭い定義や決まりごとの中で、うんうんと苦しんでいるように見える。

そういうときは、「そもそも定義自体が狭かったのではないか」という前提に戻ってみないといけない。定義や決めごとは、時代時代に応じて、現場での新しい知見に応じて更新していくものだ。

医療を広く捉えてみる。西洋医学だけではなく、東洋医学や伝統医学や代替医療や民間医療を含めて。医学だけではなく、文化や芸術や歴史なども。ひとのからだやこころやたましいに関わる色んなものごとを射程に入れてみる。医療を広く捉えてみる。

対話というものも広く捉えてみる。人は言語だけではなく非言語でも、存在同士でも交流をしている。人間同士だけではなく、花や水や自然とも日々対話している。対話を広く捉えてみる。

いのちというものも広く捉えてみる。人は脳だけで生きるのではなく、60000000000000個の細胞の調和で生きている。いのちを動物や植物や細菌だけではなく、鉱物や雲や水や空や宇宙にも見出してみる。いのちを広く捉えてみる。

そうして広く定義すれば、説明がつかないものごとを無理やり合理化したり、除外したりする必要はなくなる。不自由になるより自由になる道を選択したい。

色んな歴史を学んでいると、そういうことを日々繰り返した末に、歴史や流れというものはできているようだと感じる。そうして、現在は未来にとっての過去になることを繰り返している。

すべてのものは、歴史のプロセスの中にいる

この世界でよく分からないことは、この自然や宇宙から出された問題のようなもの。 そこには易しい問題から難解な問題まで、色々な種類の問題が準備されている。

人類はそうして少しずつ問題を解いてきた。 私たちが気付いていないだけで、自然は出し惜しみせずすべての手のうちを見せている。

ひとりで問題が解けなければ、みんなで協力すればいい。
探し物は、ひとりで探すよりも、みんなで探した方がいい。

難しい問題の答えが分からない時は、狭く世界を閉じたり一人で孤立して探すのではなく、みんなで協力して探し物を探せばいい。そこに優劣は必要ない。

近親憎悪と言う言葉がある。
近い世界同士の人は、どうも違いが目に映りやすく、相手を否定したくなる。距離が近いとぶつかりやすいので敵対しやすいだけだろう。
ただ、相手を否定することにどれだけの意味があるだろう。自分もOKだし、相手もOK。自己肯定は、他者を否定しなくてもできる。自己肯定は、他者肯定と両立できる。

地球上で一緒に探し物を探している人は、敵ではなくすべてが仲間。
地球上で解決しないといけない問題は、人類共通の探し物のようなもの。

探し物は、立場を越えてみんなで一緒に探せば、きっとすぐに見つかるだろう。

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